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コンスタンティノープル総主教 : ミニ英和和英辞書
コンスタンティノープル総主教[しゅきょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [そう]
  1. (n,pref) whole 2. all 3. general 4. gross 
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
主教 : [しゅきょう]
 【名詞】 1. bishop 2. prelate 3. primate

コンスタンティノープル総主教 ( リダイレクト:コンスタンディヌーポリ総主教庁 ) : ウィキペディア日本語版
コンスタンディヌーポリ総主教庁[こんすたんでぃぬーぽりぜんちそうしゅきょうちょう]


コンスタンディヌーポリ全地総主教庁(コンスタンディヌーポリぜんちそうしゅきょうちょう、, , )は、正教会で筆頭の格を有する総主教庁・教会である。管掌・統括するのはコンスタンディヌーポリ総主教。
単に「コンスタンディヌーポリ総主教庁」もしくは「全地総主教庁」とも表記される。日本ハリストス正教会奉神礼ではコンスタンティノポリ総主教と呼称される。一般にはコンスタンティノープル総主教とも。
初代総主教は十二使徒の一人である聖アンドレアスとされている。現在の総主教ヴァルソロメオス1世1991年 - 〔公式サイトによれば第270代総主教。〕)である。
総主教庁の所在地コンスタンディヌーポリ(コンスタンティノープル)は、現在のトルコ共和国最大の都市イスタンブルにあたる。総主教座はイスタンブル旧市街金角湾に面したファナリ地区に建つ聖ゲオルギオス大聖堂に置かれている。コンスタンティノポリスには、時代・地域によって様々な都市名の転写があるため様々な表記が存在するが、いずれも誤りではない。これについては当記事内の「都市名の転写・カナ表記」の節で詳述する。
1カ国に1つの教会組織を具えることが原則である正教会には、他にギリシャ正教会ロシア正教会ルーマニア正教会日本正教会などがあるが、これら各国ごとの正教会が異なる教義を信奉している訳ではなく、同じ信仰を有している〔OCA - Q&A - Greek Orthodox and Russian Orthodox - Orthodox Church in America のページ。〕。その教義や全正教会の性格については正教会の項を参照。
== 概要 ==

元来は、原始キリスト教の五大総主教座(ローマ、コンスタンディヌポリス、アンティオキアエルサレムアレクサンドリア)のひとつで、きわめて古い伝統をもつ。かつては東ローマ帝国の首都の教会として、また東方正教会の首長として、東ローマ皇帝に任命された総主教が東ローマ帝国領だった現在のトルコギリシャからブルガリアセルビア、さらにはロシアまでを管轄し、ローマ教皇とキリスト教会の首位の座を争うほどの地位を誇っていた。また、東ローマ皇帝が幼帝のときに総主教が摂政となった例も複数あり、聖俗に渡って影響力を持っていた。当時の総主教座はアギア・ソフィア大聖堂(現・アヤソフィア博物館)に置かれていた。
東ローマ帝国では皇帝教皇主義がとられていた、皇帝が総主教を兼任していたという説が流布しているが、いずれも誤りである。建前上は総主教と皇帝は聖俗の役割分担が規定されており、また実質的にもコンスタンディヌーポリ総主教が皇帝レオーン6世の再婚問題に際して、アギア・ソフィア大聖堂への立ち入りを禁じた事例〔浅野和生『イスタンブールの大聖堂―モザイク画が語るビザンティン帝国』中公新書(2003年、121頁)ISBN 9784121016843〕にもみられるように、常に皇帝が教会に対して絶対的な権力を行使できたわけではない。また、コンスタンディヌーポリ総主教を東ローマ帝国皇帝が兼任したこともなかった。

オスマン帝国統治の時代は、東方正教会に属するギリシャ人セルビア人ルーマニア人ブルガリア人ヴラフ人アルーマニア人)、正教徒アルバニア人、正教徒アラブ人を管轄する行政区分(ミッレト)の長となり、総主教の下の大主教主教が、正教徒の行政・司法・教育を担当し、宗教税を徴収した。
現代では、各国の正教会が独立したために、主にトルコ国内のギリシャ系住民と、クレタ島アトス山の各修道院および海外にいるギリシャ人正教徒を管轄するのみとなっているが、コンスタンディヌーポリ総主教は「全地総主教(エキュメニカル総主教、世界総主教)」〔日本ハリストス正教会では、 に「全地」の訳を当て、 を「全地公会議」と訳している。従って、これに準拠すれば「エキュメニカル総主教」の訳語は「全地総主教」となる。〕〔総主教庁のサイト によれば「コンスタンディヌーポリの大主教」「新しいローマとエキュメニカルの総主教」( ,)となっている。「新しいローマ」はコンスタンディヌーポリの創建時の正式名称。〕という称号を持ち、正教会の各教会の中でも第1位の格式を持っている。ただし各国の正教会は対等であり、コンスタンディヌーポリ教会およびコンスタンディヌーポリ総主教が筆頭とされるのは、あくまでも席次の上でのことである〔この点については、独立教会自治教会の承認や、教会法上の紛争における上訴受理の権限等において、全地総主教は実権を伴うとする教会法解釈も存在し、正教会内で解釈が分かれている。コンスタンディヌーポリ総主教の権限について全世界の正教会に共通する見解は存在していない。だがいずれにせよ、ローマ・カトリック教会におけるローマ教皇ほどに確立した強力な権限は行使されず存在もしていないこと、およびコンスタンディヌーポリ総主教を頂点とする上意下達式の確固とした恒常的な組織形態は存在しないことは、確実に言える事実である。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンディヌーポリ総主教庁」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ecumenical Patriarchate of Constantinople 」があります。




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