翻訳と辞書
Words near each other
・ コンスタンサ・デ・シシリア
・ コンスタンサ・デ・ボルゴーニャ
・ コンスタンサ・デ・ポルトゥガル
・ コンスタンサ・マヌエル
・ コンスタンサ・マヌエル・デ・カスティーリャ
・ コンスタンス
・ コンスタンス (アンティオキア女公)
・ コンスタンス1世
・ コンスタンス2世
・ コンスタンス・オブ・カスティル
コンスタンス・ガーネット
・ コンスタンス・キーン
・ コンスタンス・ケント
・ コンスタンス・ダルル
・ コンスタンス・ド・カスティーユ
・ コンスタンス・ド・ノルマンディー
・ コンスタンス・ド・ブルゴーニュ
・ コンスタンス・ド・ブルターニュ
・ コンスタンス・ド・プロヴァンス
・ コンスタンス・マネー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コンスタンス・ガーネット : ミニ英和和英辞書
コンスタンス・ガーネット[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

コンスタンス・ガーネット : ウィキペディア日本語版
コンスタンス・ガーネット[ちょうおん]
コンスタンス・ガーネット(Constance Clara Garnett, 1861年12月19日 - 1946年12月17日)は、イギリスの翻訳家。ガーネット夫人、ガーネット女史ともいう。19世紀ロシア文学が専門で、その翻訳は英語圏で長年読み継がれてきた。
==人物==
ブライトン生まれ。8人兄弟の6番目。父のデイヴィッド・ブラック (1817–1892) は弁護士で、町役場書記官や検視官を務めた。母はクララ・マリア・パッテン (1825–1875)。兄は数学者のアーサー・ブラック (en)。1873年に父は麻痺を起こし、その介護をしている最中に母は心筋梗塞で死亡した。
政府奨学金を受けながらケンブリッジ大学ラテン語ギリシア語を修めるとともに、ロシア人亡命者などを通じてロシア語も学んだ。一時期、学校教師として働いた。
1889年に作家のエドワード・ガーネットと結婚、一人息子デイヴィッド・ガーネットを儲けた。
1893年頃モスクワサンクトペテルブルクヤースナヤ・ポリャーナを訪問、トルストイとの出会いを機にロシア文学を翻訳し始めた。トルストイ、ゴーゴリゴンチャロフドストエフスキープーシキントゥルゲーネフ、オストロフスキー、チェーホフなど錚々たる作家の作品71篇を訳した。初期訳業の改訂などは、アナキストのセルゲイ・クラフチンスキー (en) の協力を得てなされた。
1920年代後半には老化し、白髪、半盲になる。1934年には翻訳から手を引き、1937年に夫が死ぬと隠者のごとき暮らしに入った。心臓が思わしくなく、息切れもあり、晩年は松葉杖なしでは歩けなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンスタンス・ガーネット」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.