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コイ・ツオン ( リダイレクト:コイ・トゥオン ) : ウィキペディア日本語版
コイ・トゥオン
コイ・トゥオン( / Koy Thuon, 1933年 - 1977年)はカンボジアの政治家。カンプチア共産党中央委員、北部地域書記。1977年、粛清
別名、クオン()。
== 経歴 ==
1949年に当時の最高学府であるシソワット高校に入学し〔チャンドラー(2002年)、134ページ。〕、フランス留学の経験を持つ〔山田(2004年)、28ページ・表2。〕。卒業後は教員となったが、そこで同僚であったのが後の党幹部ソン・センであり、彼を身元保証人にしてクメール人民革命党(後の共産党)に入党した〔。
1960年の短期間、キュー・サムファンの週刊誌『ロプセルバトゥール』(観測者)で働き、後にコンポンチャムで教員の仕事に就く〔。同年9月、クメール人民革命党第2回党大会において、党名は「カンプチア労働党」に変更され、「ムーン」という人物が党中央委員に選出された。このムーンはコイ・トゥオンと見られ、党内序列第4位とされた〔山田(2004年)、27-28ページ、28ページ・表2。〕〔ベトナム側文書に基づく別資料では、中央委員会のメンバー11人の中に、コイ・トゥオンの名は見られない。ショート(2008年)、206ページ、214ページ原注4。〕。
さらに1963年2月の党大会においては、ムーン(コイ・トゥオン)は党中央委員に再選出され、序列6位とされた〔。
その後、地下に潜伏しジャングルにおいてゲリラ活動に参加。1968年3月の時点では北部地域書記として同地域の武装闘争を指導した〔ショート(2008年)、259ページ。〕。しかし、彼は女好き、贅沢好きで評判で〔、クメール・イサクラ出身の地域軍司令官ケ・ポクとは絶えず対立していた〔ショート(2008年)、379ページ。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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