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キートン山田 : ミニ英和和英辞書
キートン山田[きーとん やまだ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

キートン山田 : ウィキペディア日本語版
キートン山田[きーとん やまだ]

キートン 山田(キートン やまだ、1945年10月25日 - )は、日本声優俳優ナレーター北海道三笠市(幌内地区)出身〔まちの話題【三笠市開庁130年記念式典】 | 三笠市 〕。リマックス所属。身長176cm。血液型A型。本名及び旧芸名は山田 俊司(やまだ しゅんじ)。
== 人物 ==

=== 経歴 ===
1963年北海道三笠高等学校卒業〔キートン山田公式サイト 「後半へつづく!」 『二年生!』(リクルート) 〕後、就職のため上京、建設会社に就職しサラリーマン生活を始めるが、同時に憧れだった俳優も目指して劇団に入る。サラリーマンと俳優の掛け持ちを4年間続けた後、退職して役者に専念するようになる。アルバイトをしながら役者生活をしていたが、アルバイト先のスナックの店主と知り合いで常連だった柴田秀勝から「声専門のプロダクションができるから」と紹介され、創立したばかりの青二プロダクションに預かりで所属となった〔『声優アニメディア』2010年1月号「極 声魂/キートン山田」〕。所属事務所はその後、ぷろだくしょんバオバブ〔バオバブ設立年発売、所属者ユニット・バオバブシンガーズのLP『めざせモスクワ』にクレジット〕→賢プロダクション→リマックスと変遷。バオバブ所属者の劇団であるすごろくにも所属していた〔水田わさびの声優道 | 先輩から学ぼう! | 声優グランプリweb 1 2016年2月24日閲覧〕。第二次アニメブームの昭和50年代(1970年代)には声優業が中心になったが、アニメブームの収束と共に声優の仕事もなくなり、妻からも転職を促されたり〔キートン山田「まだまだ『後半へつづく』」、『相鉄瓦版 第203号 別の生き方、見つけました』、相鉄ホールディングス、2012年4月〕、安全なサラリーマン生活に戻ろうかとも考えたこともあった〔キートン山田 講師の心.com 講演講師からのメッセージ 〕。生活のために日雇いのバイトや封筒貼りの内職などをしたが、それでも3人の子供を養いながらローン返済をすることは難しかったため、事務所や親族から借金をしていた。また、電車賃を浮かすために当時住んでいた千葉県松戸市からスタジオのある浅草まで、徒歩で移動していたこともあった〔聖教新聞 2012年7月29日号〕〔。「カラオケの司会の仕事が一番つらかった。食べていくためには何でもやった。勉強になり無駄になってない。」と辛かった当時のことを回想している〔。
デビューから10数年間は本名の山田俊司で出演していたが、声優の仕事がほぼ無くなっていた時期に1時間番組のナレーションの仕事を受けた際に、「本格的なナレーションの経験はないが、ありのままりのままの自分で仕事に臨む」という思いの下〔改名を決意。当初はプロダクションから「仕事に影響する」との理由で反対を受けたが、アルバイトや内職を全て辞め背水の陣を敷き裸一貫出直す覚悟〔で1983年に〔〔キートン山田プロフィール 講演依頼.com|講演会の講師紹介 〕芸名を『キートン山田』に改名。芸名の由来は、当時読んだ本の影響で喜劇役者のバスター・キートンに肖ったもの〔。その一方で、学生の頃に「聞いとんのか、山田!」と先生から何度も注意されたのが印象的で、「聞いとんのか山田」を縮めてこの芸名にしたとも語っている〔おたのしみ - 土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界|TBS RADIO 954 kHz 〕。本人曰く、ナレーターの道を歩み始めたのはこの時から〔。
1990年には、『ちびまる子ちゃん』のナレーションを担当。当初は番宣だけで、本編は別のナレーターが担当する予定だった〔お願い!ランキングGOLD 【2時間スペシャル】(2012年1月12日)の番組概要ページ - TVトピック検索 〕。しかし、原作者のさくらももこは、ナレーターのキャスティングには納得がいっておらず選考は難航していた。そんな中、自分が番宣を吹き込んだテープが当時ニューヨークにいたさくらの元に送られ、「この声としゃべりが欲しかった」ということで本編も担当することになった〔。本作でのナレーションが「キートン節」〔と呼ばれ代名詞となり、代表作〔に数えられるようになる。
現在は声優活動の傍ら、1995年に創設した自らの劇団「劇団ふりぃすたいる」も主宰した。きっかけは、自身が講師を務める声優養成所で在校期間2年で卒業する生徒たちがどこかに所属できる人がおらず、過去の自分の経験もあって何とかしたいという気持ちが膨らみ、生徒たちの中から団員を募り結成された〔キートン山田 講師の心.com 講演講師からのメッセージ ページ2 〕。ふりぃすたいるは創立20周年記念公演を終えた2015年5月をもって解散し、同年7月3日にマンモス八木と二人で「きぃとん劇場」を創立した〔キートン山田の日記 2015年(7月17日) 2015年8月26日閲覧〕。
若いころから「できれば東京に住みたくない」という気持ちが強く、1999年には静岡県伊東市に家を構えて生活しており、仕事の度に東京などへ出かけている〔〔環境省広報誌 エコジン 2013年4・5月号 第4-5項〕。
現在では、芸能活動以外に株式会社ペルソンが依頼代理となって講演活動も行っている〔。
2014年、第8回声優アワード「功労賞」を受賞。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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