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キリル・メレツコフ : ウィキペディア日本語版
キリル・メレツコフ

キリル・アファナシエヴィチ・メレツコフ(、1897年6月7日1968年12月30日)は、ソビエト連邦軍人。最終階級はソ連邦元帥
== 生い立ち ==
リャザン州サライスク県ナザルイェヴォの貧農の家庭に生まれる。15歳まで学校に通う傍ら両親の農作業を手伝った。卒業後の1912年に機械工の徒弟となり、モスクワの夜間学校に通う。1915年に修業を終えると、ズドグダで機械工として働き始めるが、高等教育を受ける準備のため夜間学校に通い続けた。この頃からツァーリズム第一次世界大戦に反対するボリシェヴィキの地下活動に加わるようになる。
1917年、ロシア社会民主労働党に加入し、赤衛軍に参加。大隊参謀となりムーロムでの反革命蜂起鎮圧に従事。ロシア内戦の最前線で戦い、第5軍第227連隊の大隊政治委員の当時には負傷。1918年10月に参謀教育を修了した。1919年10月から南部戦線の第9軍第14師団で参謀及び旅団参謀長を務める。1920年‐1921年、アレクサンドル・エゴロフ率いる第1騎兵軍の第4騎兵師団(司令官セミョーン・ブジョーンヌイ)で参謀。1921年に陸軍大学を修了後、旅団長及びベラルーシに駐屯する第1トムスクシベリア騎兵師団参謀長。
内戦終結後、1923年にカフカスの第15狙撃軍団参謀及び第9ドン狙撃師団参謀長。翌年、モスクワ軍管区動員局長。1925年、モスクワ軍管区第1副参謀長及び副政治委員長。次いで第14狙撃師団長及びモスクワ軍管区参謀長。1932年‐1935年、ベラルーシ軍管区参謀長、次いで特別極東赤旗軍司令官ヴァシーリー・ブリュヘルの下で参謀長。スペイン内戦中の1936年‐1937年、共和国政府の軍事顧問としてスペインに派遣。次いで参謀総長ボリス・シャポシニコフの代理となる。1938年9月、ヴォルガ軍管区司令官、次いでレニングラード軍管区司令官。第18回党大会で党中央委員会候補に選出される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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