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キャロライン・ウォズニアッキ : ミニ英和和英辞書
キャロライン・ウォズニアッキ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


キャロライン・ウォズニアッキ : ウィキペディア日本語版
キャロライン・ウォズニアッキ

キャロライン・ウォズニアッキCaroline Wozniacki, 1990年7月11日 - )は、デンマークオーデンセ出身の女子プロテニス選手。デンマーク人として初めて世界ランキング1位になった選手である。これまでにWTAツアーでシングルス23勝、ダブルス2勝を挙げている。身長177cm、体重58kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。(メディアによっては、デンマーク語読みにより近い「カロリーネ・ボズニアツキ」と表記しているものもある〔本来のポーランド語の読み方をカタカナに起こすと「ヴォズニアツキ」ないし「ヴォズニャツキ」で、語源は「(教会での)先導人」ないし「御者」。ポーランド語では女性の場合は姓は-aで終わり、本来は「ヴォズニアツカ」となるが、デンマーク語ではこのような規則がないため、男性の姓である「ヴォズニアツキ」となっている。〕。)
全米オープン準優勝2回。2010年WTAツアー選手権準優勝。WTAプレミア・マンダトリー優勝2回。
== 来歴 ==
ウォズニアッキの家族は、父親はデンマークとポーランドのリーグでプレーした元プロサッカー選手でポーランド生まれのピョトル・ウォズニアッキ、母親はバレーボールのポーランド代表選手アンナ・ウォズニアッキであり、夫妻はピョトルがデンマークのプロサッカークラブと契約した際にポーランドを離れデンマークに移住している。これは1980年代のことであり当時のポーランドはまだ共産主義体制を採っていた。キャロラインの兄もデンマークのプロサッカー選手である。
キャロラインは父親の手ほどきで7歳からテニスを始め、2005年4月から女子テニス国別対抗戦・フェドカップのデンマーク代表選手に選ばれ、同年7月に15歳でプロテニス選手になった。2005年の「オレンジボウル選手権」(ジュニアテニス選手の登龍門と言われる大会)で優勝した後、2006年前半に全豪オープンジュニア女子シングルス準優勝・全仏オープンジュニア女子ダブルス準優勝・ウィンブルドンジュニア女子シングルス優勝を記録した。ジュニア選手のトーナメントに出ていた頃、ウォズニアッキは日本世界スーパージュニアテニス選手権大会に3年連続で出場し、同選手権の女子シングルスで2004年2006年の2度優勝した。
2007年、ウォズニアッキは全仏オープン4大大会本戦にデビューした。10月のジャパン・オープンで、彼女は女子シングルス準決勝まで勝ち進み、第1シードのビーナス・ウィリアムズに 3-6, 5-7 で敗れた。2008年全豪オープンでは世界ランキング64位のノーシードから勝ち上がり、初めての本戦4回戦に進出した。2回戦で第21シードのアリョーナ・ボンダレンコウクライナ)を破って波に乗るが、4回戦で第4シードのアナ・イバノビッチセルビア)に 1-6, 6-7 で敗退した。全仏オープンでは「第30シード」に選出され、3回戦でイバノビッチに 4-6, 1-6 で敗れた。同年8月のスウェーデンストックホルム大会と「パイロットペン・テニス選手権」でシングルス2勝を獲得。それから、2度目の出場となったジャパン・オープンでも初優勝を飾り、シングルス3勝目を挙げた。こうして、ウォズニアッキはデンマーク人女性として初めてWTAツアーのシングルス・タイトルを獲得した選手になった。
ウォズニアッキは2009年5月18日付で世界ランキング10位に入り、デンマークのテニス史上初めて、世界トップ10入りを果たした。同年の全米オープン女子シングルスで、彼女は第9シードから初の4大大会決勝戦に進出した。決勝ではキム・クライシュテルスベルギー)に 5-7, 3-6 で敗れ、初優勝を逃した。デンマーク人のテニス選手による4大大会決勝進出は、1953年1955年の2度ウィンブルドン選手権で準優勝したクルト・ニールセン以来の偉業である。
2010年の全米オープンでは、世界ランク1位のセリーナ・ウィリアムズが欠場したため初の4大大会第1シードとなったが、準決勝でベラ・ズボナレワロシア)に 4-6, 3-6 で敗れた。10月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントでは決勝でエレーナ・デメンチェワロシア)に 1-6, 6-2, 6-3, で逆転勝ちし、大会初優勝を挙げる。翌週の中国オープンでは決勝でベラ・ズボナレワロシア)に 6–3, 3–6, 6–3 で勝利し、大会後のランキングでデンマーク人としては男女を通じて初めての1位になった。最終戦のWTAツアー選手権でも初めての決勝に進出したが、キム・クライシュテルスに 3-6, 7-5, 3-6 で敗れた。
2011年の全豪オープンでは、準決勝で李娜中国)に 6-3, 5-7, 3-6 の逆転で敗れた。2月にクライシュテルスに世界ランキング1位を明け渡したが、ドバイ大会の優勝により再び1位に返り咲いた。4大大会では全仏オープンで3回戦、ウィンブルドンでは4回戦で敗退した。最後の全米オープンでは3年連続でベスト4に進出したが、復活したセリーナ・ウィリアムズに 2-6, 4-6 で完敗し4大大会の決勝には一つも残れなかった。最終戦のWTAツアー選手権ではラウンドロビンで敗退したが、2年連続で最終ランキング1位を守った。
2012年全豪オープンでは準々決勝でキム・クライシュテルスに 3-6, 6-7(4) で敗れ世界ランキング1位から陥落した。ウィンブルドン全米オープンでは1回戦で敗退した。
2014年の全米オープンでは5年ぶりに決勝に進出するも、セリーナ・ウィリアムズに 3-6, 3-6 で敗れ、またしても悲願の4大大会初優勝はならなかった。
ウォズニアッキはオリンピックデンマーク代表として、2008年北京五輪2012年ロンドン五輪の2大会に出場した。2016年リオデジャネイロ五輪では旗手を務める予定である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キャロライン・ウォズニアッキ」の詳細全文を読む




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