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ガンヘッド : ウィキペディア日本語版
ガンヘッド

ガンヘッド』(''GUNHED'')は、1989年7月22日に公開された日本映画。配給は東宝
== 概要 ==
本作は、『機動戦士ガンダム』などアニメによる巨大ロボットものを得意としたサンライズと、実写特撮ものにかけては長い歴史と経験を持つ東宝映画がタッグを組んだSF映画である。また、出資者によりメディアミックス展開が図られた。
実写で巨大ロボットの活躍を描いた映画であり、「巨大ロボットによる屋内劇」という他に類を見ない特撮映画作品である。公開当時は「史上初の実写巨大ロボットムービー」を宣伝文句にしていた〔テレビでは既に着ぐるみによる『ジャイアントロボ』『大鉄人17』があり、プロップや原寸大モデルを用いた映画としては、翌年アメリカで公開された『ロボ・ジョックス』の制作発表が僅かに先行していた。〕。
1987年頃より『ガンヘッド』のロボットのキャラクターをサンライズ側が打ち出して、東宝に持ち込む形で企画された〔『動画王Vol.10』キネマ旬報社、2000年、p22〕。当初の監督候補は長谷川和彦だった〔白石雅彦編著『平成ゴジラ大全 1984-1995』双葉社、2002年、p98
冠木新市『君もゴジラを創ってみないか 川北紘一特撮ワールド』徳間オリオン、1994年、p184-p185〕が企画段階で降板し、アメリカで映画を学び『スター・ウォーズ』の日本語版演出でSFの経験がある原田眞人を起用された。特技監督は、1984年にSF映画『さよならジュピター』を手がけ、後に『ゴジラ』シリーズの特撮を長く任されることになる川北紘一である。
主役ロボットのガンヘッドはアニメ畑の河森正治がデザインした。企画当初は大河原邦男によるデザインが進行しており、大河原稿と初期企画案『機動戦都市コマンドポリス』や『モビルファイター・ゼロ(戦闘機兵0)』のストーリーを元にアニメーターの吉田徹がイメージボードを数点描き起こしている。この後同じ吉田の手で、サンライズの山田哲久プロデューサーやブレーンスタッフのアイデアを河森の準備稿デザインで描いたイメージボードも制作された。河森のデザイン決定稿を元にしたイメージボードは、イラストレーター幡池裕行の手で映画本編のシナリオを元に描かれた。

ガンヘッドは高さ6メートルの実物大全身プロップも製作されたことでも話題になった。実物大プロップは、宣伝と人物との絡みシーン撮影に使用されている〔『サンライズ全作品集成1 サンライズクロニクル 1977〜1994』サンライズ、2007年、p.221。〕。プロップ製作は『さよならジュピター』に続いて小川正晴率いるオガワモデリングが担当した。実物大モデルをはじめ各種サイズで製作された。撮影には主に1/8スケールモデルが使用され、戦車形態、直立形態、変形用モデルがシーンにより使い分けられている。1/3相当スケールのガンヘッドの上半身のみの着ぐるみはクライマックスのエアロボットとの格闘戦シーンで使用されており、DVD収録のメイキングで確認できる。
エアロボットは、初期稿を河森正治が担当したがギミックや構造が操演面で難があると判断された為、河森稿で提示されたコンセプトをスタジオOXが受け継いでラフデザインを数点起こしている。さらにスタジオOX稿を一部継承する形で美術デザイン担当の大澤哲三がデザインし、最終デザインはプロップ製作と共に東宝美術部が担当した。冒頭、過去の場面での銃器類は『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』に登場する悪の組織「赤イ竹」用のプロップが使用されている。
ロボットアニメの実写版を期待したサンライズ、SF映画を意図した原田眞人、特撮ものならではのロボットものにしたかった川北紘一とそれぞれの狙いが異なったが、結局、東宝のプロデューサーもサンライズのプロデューサーも川北の方向性で撮影中もシナリオを直していった〔冠木新市『君もゴジラを創ってみないか 川北紘一特撮ワールド』徳間オリオン、1994年、po.186-187。〕。しかし、完成した作品には「分かりづらい」「印象が薄い」「画面が暗くて何をやっているか分からない」と不評の声も聞かれた。一方、特撮を評価する声もあった〔田中文雄『神を放った男 映画製作者・田中友幸とその時代』キネマ旬報社、1993年、p300。
冠木新市『君もゴジラを創ってみないか 川北紘一特撮ワールド』徳間オリオン、1994年、p185。
岩本克也「世界のB・ガールズ・コレクション」『映画秘宝vol.8 セクシー・ダイナマイト猛爆撃』洋泉社、1997年、p181。
山根貞男『日本映画時評1986-1989』筑摩書房、1990年、pp.258-259。〕。
劇場公開版では、外国人俳優が多数出演し、劇中では登場人物がそれぞれ日本語と英語とで会話、字幕スーパーがついていた。TBSでの地上波オンエア版ではナレーションも含めて全て日本語に吹き替えられており、ニムは戸田恵子が演じた。また日本人キャストの声も全て再録されており、主役の高嶋の演技力が向上している事、一部のセリフが変更されて明解になっている事、加えて放映時の画質が良好だった事から、このテレビバージョンを支持する声もある〔岩本克也「世界のB・ガールズ・コレクション」『映画秘宝vol.8 セクシー・ダイナマイト猛爆撃』洋泉社、1997年、p181〕。
興行は芳しくなく、映画雑誌『キネマ旬報』では「惨敗」「企画の失敗」とまで言われた〔『キネマ旬報』1989年9月下旬号の「興行価値」及び「トピック・ジャーナル」より。〕。一方、本多俊之による音楽は、公開後20年近く経過した現在もなおニュースワイドショーや、ドキュメンタリー番組といった報道番組全般で使われ続けている。
本作の公開のころには、すでに1984年版『ゴジラ』に続くゴジラ映画の新作が製作中で、公募されたストーリーの候補の一つとして、ゴジラと巨大コンピューターと戦い、コンピュータが戦車もどきのメカになるという案があった。しかし、『ガンヘッド』が興行面で失敗したことで却下となり、最終的にはもう一つの案である新しい怪獣を登場させることで落ち着き、後の『ゴジラvsビオランテ』となった〔冠木新市『ゴジラ・デイズ』集英社文庫、1998年、p371。〕。同作には、川北紘一をはじめとする『ガンヘッド』の特撮スタッフの多くがそのまま参加した〔白石雅彦編著『平成ゴジラ大全 1984-1995』双葉社、2002年、p.101。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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