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ガトリング砲 : ミニ英和和英辞書
ガトリング砲[がとりんぐほう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほう]
  1. (n,n-suf) gun 2. cannon 

ガトリング砲 : ウィキペディア日本語版
ガトリング砲[がとりんぐほう]

ガトリング砲(ガトリングほう)、ガトリング銃(ガトリングじゅう)またはガトリングガンは、1861年アメリカ合衆国発明家リチャード・ジョーダン・ガトリングによって製品化された最初期の機関銃日本に輸入されていた幕末明治期にはガツトリング砲(または奇環砲、ガツトリングゴン連発砲)〔『衝鋒隊戦記』幕末の長岡藩のガトリングガン使用についての記述より〕と呼ばれていた。
外部動力・多銃身式に分類される構造を持ち、複数の銃身を外部動力(人力やモーターなど)で回転させながら給弾・装填・発射・排莢のサイクルを繰り返して連続射撃を行う。
固有名詞としての「ガトリング砲」はガトリングが発明してアメリカで製造され、20世紀初頭まで使用された機関銃を、広義には同時代に他国でそのレプリカとして製作された多銃身の機関銃を指す。また、より広義にはそれと同様の連射構造を持ったガトリング形式の機関砲(機関銃)(Gatling type gun)の総称として「ガトリング砲」という呼称が用いられている。英語ではrotary canon、rotary autocannonとも呼ばれる。
以降は機関銃(砲)の形式としての「ガトリング砲」についても記述する。
== 歴史と構造 ==
原始的な手銃の時代から、多数の銃身を並べて斉射するアイデアが存在し、ガトリング砲が登場した時期にもミトライェーズ砲(日本では“蜂巣砲”と呼んだ〔陸軍省大日記 日清戦役

明治27年9月12日至明治28年4月2日

「第1軍 戦闘詳報」

「分捕兵器弾薬取調明細表 名称 個数 七珊知米突克慮伯野砲 同山砲 小口径克慮伯式山砲 ガットリング@発砲 同蜂巣砲 七珊知米突野山砲榴弾 同榴発弾 同霰弾 小口径山砲榴弾 小口径山砲尖弾 火薬」
〕)として知られる多砲身“斉射砲”が存在していた(しかし、斉射砲は構造が複雑すぎて信頼性が低く、普及しなかった)。
ガトリング砲が発明された当時の米国は、欧州に比して軍事的後進国だったため、依然として戦列歩兵式の歩兵運用が続いており、敵兵は密集した陣形を組んで向かってくる存在と認識されていた。こうした密集した敵兵に対しては、大砲から霞弾などの対人弾を浴びせる攻撃が昔から行われていた。
ガトリングのアイデアは、銃身を環状に並べて回転させ、金属薬莢を使用する後装式の閉鎖機構と給弾機構をこれに組み合わせたものであり、それまでの多砲身“斉射砲”とは全く異なる構造の“連発砲”だった。
ガトリング砲には複数の砲身が環状に配置され、人力でクランクを回転させると、連続して給弾・装填・発射・排莢のサイクルが進行する構造であり、射撃は斉射ではなく連続して行われた。
1862年型では固定式弾倉に、紙で包んだ鉛弾を内蔵する薬莢実包をバラで投入する給弾方式であったが、1865年型からは口径0.58インチの真鍮製薬莢の実包をバネを用いずその自重で落とし給弾する箱型弾倉式に代わり、これ以外にも必要に応じて上部から実包を次々に継ぎ足す装弾クリップ式もあった。
*参照動画: 装弾クリップを用いた1874年型ガトリング砲の実射
*参照動画: 40発入り箱形弾倉を用いた1865年型ガトリング砲の実射
前装式小銃が主流だった南北戦争当時、ガトリング砲の持つ200発/分の連射速度は驚異的であり、1866年に軍によって採用される以前から、セールスエンジニアが戦場にガトリング砲を持ち込み、実際に敵兵(南軍)を撃って見せる実戦参加デモンストレーションが行われた。
初期のガトリング砲は射撃中、射手が一定速度でクランクを回さないと弾丸詰まりを起こしやすく、また射撃に夢中になって回転速度を上げすぎると、過熱による部品の破損の危険があった。このため1893年には電動モーターにより一定のペースを保って射撃できるタイプが開発されたが、当時のモーターやバッテリーはまだ重量過大で信頼性が低く、さらに重量が増し、扱いが難しくなってしまった。後の時代に航空機用として生まれ変わったガトリング砲では部品の精度や材質も改善され、外部動力のため不発が発生しても強制排莢して射撃が持続できるという利点がある。また銃身1本当たりの発射頻度は低くて済むため、後に開発された単砲身の機関砲・機関銃が悩まされた、加熱によって生じる様々な問題(ライフリングの急速な磨耗や弾頭周囲からのガス漏れによる作動不良など)が発生しにくい構造になっている。
一方で、多砲身のため重く設置・操作には複数の兵士が必要で、小型砲並みのサイズとなり軽便さに欠けるという欠点があった。
初期のガトリング砲は、真鍮製の薬莢を用いる弾薬が普及していなかったため、紙に包んだ鉛玉を鉄製の薬莢に収めた専用弾薬と一緒に販売されていたが、各種の金属薬莢式弾薬が普及し始めると、これを使用するタイプが製造されるようになり、各国へ輸出されるようになった。
しかし、南北戦争で双方が使用したエンフィールド銃に代表されるミニエー式小銃の強力な殺傷力が、戦列歩兵式の歩兵運用を廃れさせると、歩兵は密集して真っ直ぐ向かってくる存在から、散開しながら接近して来る存在へ変わってしまい、機動性と軽便さに欠けるガトリング砲は野戦では役に立たない兵器となってしまった。また射手はクランクを回して操作する必要性上伏射が難しいために射撃姿勢が高く、狙撃を受けやすいという問題もあった。
ガトリング砲が威力を発揮できたのは、敵兵が突撃を仕掛けて来た際の拠点防衛用や海戦においてであり、敵艦の甲板を掃射して乗組員を殺傷したり、接舷攻撃を仕掛けて来た敵を迎え撃つのに大変適しており、イギリスロシア植民地の盗賊撃退用にこれを活用した。
機動性と射手の防御の問題を解決するため、イギリスのエジプト駐留軍では四方を鉄板で覆った装甲列車に載せて使用していた。また“キャメルガン”の名称で駱駝の背中に載せられるほど軽量化した事をアピールしたタイプや、ドーナツ型の弾倉を使用するものや銃身を短縮させた“ブルドッグ”と呼ばれたタイプも登場した。
やがてマキシムブローニングといった単銃身で軽量な重機関銃が出現すると、大型で重いガトリング砲は一挙に旧式化した存在となった。
これらの機関銃は、発射時の反動やガス圧といった内部動力を利用しているため、ガトリング砲よりも小型・軽量でありながら、ベルト給弾機構によって長時間の持続射撃が可能であり、特にマキシムの機関銃は水タンクで銃身を覆って冷却する構造となっており、19世紀の水準で作られたガトリング砲よりも高い部品精度で製造され信頼性も高く、ボーア戦争日露戦争第一次大戦で高い戦果を挙げた(そして、なお重量過大であった重機関銃に対し、一人で携行射撃が可能な軽機関銃短機関銃までもが登場した)。
ガトリング砲は1950年代航空機用機関砲(後述)として復活したほか、手回し式のガトリング砲は州によっては法的に規制される自動火器には該当しないため、22LR弾を用いたミニチュアのガトリング砲が、手軽にフルオート射撃を楽しみたい人々に向けて市販されている。
*参照動画:ミニチュア・ガトリング砲の実射

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ガトリング砲」の詳細全文を読む




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