翻訳と辞書
Words near each other
・ カルダローラ
・ カルダングリル
・ カルダンジョイント
・ カルダンドライブ
・ カルダン式
・ カルダン方式
・ カルダン車
・ カルダン駆動
・ カルダン駆動方式
・ カルダー
カルダーの戦い
・ カルダークラフト
・ カルダーノ
・ カルダーノ・アル・カンポ
・ カルダーロ・スッラ・ストラーダ・デル・ヴィーノ
・ カルダー判決
・ カルダー競馬場
・ カルダー記念賞
・ カルチ
・ カルチ (曖昧さ回避)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カルダーの戦い : ミニ英和和英辞書
カルダーの戦い[かるだーのたたかい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

カルダーの戦い : ウィキペディア日本語版
カルダーの戦い[かるだーのたたかい]

カルダーの戦い(カルダーのたたかい、英語:Battle of Kharda)は、1795年3月11日インドカルダーにおいて、 マラーター同盟マラーター王国)とニザーム王国の間で行われた戦闘。この戦いはマラーター軍が勝利し、敗れたニザーム側は大規模な領土割譲と莫大な賠償金を支払わされ、のちに同国がイギリス保護下の藩王国となる契機となった。
==戦闘に至るまでの経緯==
マラーター王国ニザーム王国第三次マイソール戦争で共闘し、1792年にはマイソール王国を事実上降伏させ、それぞれ領土の割譲を受けた。だが、マイソール王国の弱体化で脅威が消えたため、両国は互いに敵対姿勢をあらわにし、1794年以降それは顕著となった〔The Battle of Khardla - funny reason to lose the battle 〕。
さて、先の戦争でイギリスはマラーター王国とニザーム王国との3者同盟を結成した存在だったが、今回は中立の立場をとった。強大なマラーターに対し、ベンガル南インドで覇権を握りつつある英国も脅威と感じていたが、ベンガル総督ジョン・ショアはニザームとフランスとの関係を見て、両者の争いには中立の立場をとるように方針をとった〔。とはいえ、マラーターもまたニザームと同様にフランスとつながりを持ち、フランス式の軍隊訓練を受けていた〔。
先に動いたのはニザームの側であった。ニザームはマラーターと対決するため、ビーダルに宮廷を移動し、大軍を集めはじめた〔。イギリスはこの軍事行動をやめるように説得したが、すべて無駄に終わった。ニザームとマラーターの激突はもはや避けられないところに来ていた。
同年12月、ニザームの軍勢はビーダルを離れ、マラーター王国の宰相府プネーに向かって進撃した。ニザームの軍勢はゆっくりと進行し、これに対しマラーター軍も迎撃に向かった。ニザームの軍90,000人から110,000人に対し、マラーター王国の軍勢は有力諸侯シンディア家ホールカル家ボーンスレー家の援軍も加勢していたので130,000人であった〔。
両軍ともに軍勢の進行は遅く、ニザームの方はハーレムを連れ、狩猟をしながら進軍していた。この間、双方は賄賂と諜報活動を通して相手の軍を錯乱にさせようとした。ニザームはマラーター側の諸侯シンディア家、およびマラーター側のフランス人軍事顧問を買収しようと、1万ルピーを費やした。マラーターもナーナー・ファドナヴィースのもと、ニザーム側の同調者に声をかけ、こちらは7万ルピーを費やした〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルダーの戦い」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.