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オーバーランド方面作戦 : ミニ英和和英辞書
オーバーランド方面作戦[おーばーらんどほうめんさくせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 
方面 : [ほうめん]
 【名詞】 1. direction 2. district 3. field (e.g., of study) 
: [めん]
  1. (n,n-suf) face 2. mug 3. surface 4. facial features 5. mask 6. face guard 7. side or facet 8. corner 9. page 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
作戦 : [さくせん]
 【名詞】 1. military or naval operations 2. tactics 3. strategy 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

オーバーランド方面作戦 : ウィキペディア日本語版
オーバーランド方面作戦[おーばーらんどほうめんさくせん]

オーバーランド方面作戦(英:Overland Campaign、またはWilderness Campaign)は、南北戦争1864年5月と6月に、バージニア州で行われた一連の戦闘である。北軍の総司令官ユリシーズ・グラント中将は、ジョージ・ミード少将のポトマック軍やその他の軍隊を指揮して、南軍将軍ロバート・E・リー北バージニア軍に対する戦いを仕掛けた。グラントはこの方面作戦中、夥しい損失と何度も戦術的な敗北を喫したが、リー軍をピーターズバーグで動きの取りにくい状態に追い込んだことで戦略的には北軍の勝利と考えられている。
== 背景と対戦した勢力 ==
1864年3月、グラントは西部戦線から呼び戻され、中将に昇進し、北軍全体の指揮を任された。ポトマック軍の事実上の指揮官はミードのままだったが、グラントはその本部をポトマック軍と同じにすることを選んだ。西部戦線の軍隊の大半指揮はウィリアム・シャーマン少将に任せた。グラントは多方面からアメリカ連合国の中心部を叩く協調戦略を考案した。グラント、ミードおよびベンジャミン・バトラーリッチモンド近くでリー軍に対抗する、フランツ・シーゲルシェナンドー渓谷を抑える、シャーマンはジョージア州に侵攻しジョセフ・ジョンストン軍を破ってアトランタを確保する、ジョージ・クルックとウィリアム・アブレルはウェストバージニア州の鉄道補給線に対する作戦を行う、ナサニエル・バンクスアラバマ州モービルを占領する、というものだった。これは北軍にとって、多くの戦線に跨る協調攻撃戦略を採用したことでは初めての機会だった。
これまでバージニア州で北軍が採用した方面作戦はアメリカ連合国の首都リッチモンドを主要目標としていたが、この時の目標はリー軍の破壊だった。グラントはミードに対して、「リーが行くところならどこでも、貴方も行くのだ」と命令した。
この方面作戦の開始時点で、グラントの北軍全容は118,700名の兵士と316門の大砲だった〔Eicher, p. 660.〕。ジョージ・ミード少将のポトマック軍と第9軍団(5月24日まで公式にはオハイオ軍の一部、ミードではなくグラントに直接指示を仰いだ)だった。5個軍団が存在した。
* 第2軍団ウィンフィールド・スコット・ハンコック少将指揮、デイビッド・B・バーニー少将とフランシス・C・バーロージョン・ギボンおよびガーショム・モット各准将の師団
* 第5軍団、ガバヌーア・ウォーレン少将指揮、チャールズ・グリフィン、ジョン・C・ロビンソン、サミュエル・クロウフォードおよびジェイムズ・S・ワズワース各准将の師団
* 第6軍団、ジョン・セジウィック少将指揮、ホレイショ・G・ライト、ジョージ・W・ゲッティおよびジェイムズ・B・リケッツ各准将の師団
* 第9軍団、アンブローズ・バーンサイド少将指揮、トマス・G・スティーブンソン、ロバート・B・ポッター、オーランド・B・ウィルコックスおよびエドワード・フェレーロ各准将の師団
* 騎兵軍団、フィリップ・シェリダン少将指揮、アルフレッド・T・A・トーバート、デイビッド・グレッグおよびジェイムズ・H・ウィルソン各准将の師団
リーの北バージニア軍は、64,000名の兵士と274門の大砲だった〔。4個軍団に組織された。
* 第1軍団、ジェイムズ・ロングストリート中将指揮、チャールズ・W・フィールド少将とジョセフ・B・カーショー准将の師団
* 第2軍団、リチャード・イーウェル中将指揮、ジュバル・アーリーエドワード・"アレゲニー"・ジョンソンおよびロバート・E・ローズ各少将の師団
* 第3軍団、A・P・ヒル中将指揮、リチャード・H・アンダーソンヘンリー・ヒース、およびカドマス・M・ウィルコックス各少将の師団
* 騎兵軍団、J・E・B・スチュアート少将指揮、ウェイド・ハンプトンフィッツヒュー・リーおよびW・H・F・"ルーニー"・リー各少将の師団
グラントは消耗戦を戦う準備をした。勢力的に勝る北軍がリー軍に出血を強いる戦闘だった。北軍も南軍も損失が大きいとして、北軍は失われた兵士や武器を補充するための大きな資源があった。グラントは戦力が大きかったにも拘わらず、人員に関する問題を抱えていた。前年のゲティスバーグの戦いで辛勝したことに続き、第1軍団と第3軍団が解体され残兵は他の軍団に再配置されて、それが部隊の結束と士気に影響した。また敵の領域で攻勢を掛けることについては、補給基地を守り、そこから戦場にいる軍隊まで伸びる補給線を守る必要があった。さらに多くの兵士の3年間徴兵期限が終わろうとしており、このような兵士は当然ながら危険な攻撃に参加することを嫌がった。グラントは、これらの問題に対処するために、ワシントンD.C.周辺で重装砲兵大隊に勤務している兵士を歩兵連隊に割り付けて補充を行った。
オーバーランド方面作戦は1864年5月4日に、グラント軍がラピダン川を渡ったときに始まった。グラントの目標はマインランの防御陣地に陣取っているリー軍を、そこから引き出すかあるいはその側面を衝くことで、会戦を強いることだった。リーはその統率力を特徴づける大胆さで、グラントが望むとおりに陣地から出てきたが、グラントが予測したよりも素早い行動をした。北軍は「荒野」と呼ばれるその地域一帯を開いておくための十分な時間が無かった。「荒野」は前年にチャンセラーズヴィルの戦いでも戦場の一部となった、低木の藪や下生えが絡まった地域だった。リーは、そこでの戦いを強いることで、北軍の大砲の数の優位さを効果的に減じさせた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オーバーランド方面作戦」の詳細全文を読む




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