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オランダ王立陸軍 : ミニ英和和英辞書
オランダ王立陸軍[おらんだ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

オランダ : [おらんだ]
  1. (pt:) (n) Holland 2. The Netherlands, (pt:) (n) Holland/The Netherlands
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王立 : [おうりつ]
 【名詞】 1. royal 
: [りく, ろく]
 (adj-na,n) six (used in legal documents)
陸軍 : [りくぐん]
 【名詞】 1. army 
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

オランダ王立陸軍 ( リダイレクト:オランダ陸軍 ) : ウィキペディア日本語版
オランダ陸軍[おらんだおうりつりくぐん]
オランダ王立陸軍(オランダおうりつりくぐん、オランダ語Koninklijke Landmacht)はオランダ王国陸軍
== 歴史 ==
オランダ王立陸軍は1814年1月9日に創設される。ただしその起源については1572年のいわゆる州軍(:nl:Staatse Leger)と呼ばれる軍事組織に求められる。このためオランダは16世紀にまで遡れる最も古い常備軍を維持した国家の一つに数えられる。
ネーデルラント連邦共和国の陸軍は八十年戦争を経て17世紀と18世紀前半にかけて組織化し訓練され、1795年のフランス侵攻までカール・グスタフ戦争での第1次デンマーク戦争やネーデルラント継承戦争大同盟戦争スペイン継承戦争オーストリア継承戦争フランス革命戦争に参加している。
ネーデルラント連邦の州軍は1795年にバタヴィア共和国軍に再編成され、1806年にホラント王国の成立に伴い再編成されている。1799年と1800年および1810年の間にドイツ、オーストリアおよびスペインでの戦役に参加し、特に1807年のナポレオン戦争中のフリートラントの戦いでリーデンデ砲兵隊の馬砲兵部隊(Rijdende Artillerie)が活躍している。1807年と1809年にはシュトラールズントを占領し半島戦争では1808年から1810年までオランダ旅団が参加していた。ナポレオン・ボナパルトがオランダの「再統一」を決めたことにより独立軍は1810年に解体される。これにより大陸軍の一部となる。こんにちのフランス陸軍第126歩兵連隊はオランダに起源をもっている。1812年ロシア戦役ではオランダ部隊も参加している。最も注目すべき戦闘はベレジナの戦い:en:Battle of Berezina)でのベンティン大佐(Benthien)率いる架橋中隊の活躍がある。
1813年、オラニエ主義者によるナポレオン支配への蜂起の結果、ネーデルラント連合王国が成立し独立軍が復活した。この新陸軍は百日天下でのワーテルローの戦いで連合軍の重要に一角を成していた。特に、ダヴィッド・ヘンドリク・シャッセ男爵(:nl:David Hendrik Chassé)の部隊は勝利の一因となった。
ワーテルローの戦い以降オランダ陸軍はいくつかの紛争に関与している。1825年から1925年の間の植民地戦争や1830年からのベルギー独立革命に参加した。それ以降は第二次世界大戦まで概ね平穏であった。
第二次世界大戦直前には軍団の下で5個師団を編成し、4個の予備役部隊を備えていた。後に機動部隊を含めた2個軍団編制に移行し戦力化が図られた。1940年5月10日からナチス・ドイツ軍と交戦するも衆寡敵せず同月14日にオランダは降伏する。
戦後、インドネシア独立戦争を経て冷戦の激化に伴い北大西洋条約機構が設立されこれに加盟し、西欧での集団安全保障の一翼を担う事になる。冷戦時代の1960年代、フランスのNATO軍事機構の脱退により、後方兵站線がベネルクス3国に集中することになり、防衛体制強化のため第1軍団を基幹に3個師団他部隊と装備で重武装化が図られた。機械化師団は当初、徒歩兵が主力であったが1970年代初頭までに機械化が完了している。ただし師団は固定的編制ではなく作戦要求に合わせ、複数の旅団を状況に応じて組み合わせて師団を編成していた。第1軍団以外には地域防衛集団(NTC)、兵站集団(NLC)、衛生集団(GC)、訓練集団(COKL)、通信集団などがあった。
地域防衛集団には2個歩兵旅団を基幹に11個警備管区をもち、各地に点在する大小様々な重要施設の警備や機動予備および総予備として機能していた。訓練集団は毎年入隊する徴兵に対する新兵訓練の他、士官・下士官教育を担当し、有事には一線部隊の欠員を埋めるための人員プールとしても機能していた。1980年代初期当時の平時兵力約70,000人の内、約40,000人が徴兵で構成されており兵役はオランダ社会において名誉とされる。しかし、社会状況の変革にともない軍内規律の大幅な改革に着手し、長髪の兵士が勤務するなど若者に譲歩した内容となっていた。また、オランダ軍では兵隊組合の結成が認められている。
1961年にはオランダ領イリアンジャヤをめぐってインドネシア軍と交戦するも(西イリアン紛争)米ソ超大国の思惑により停戦し同地から撤退している。
1980年代、総人口約1,400万人に対し、平時70,000人、戦時20万人、10個旅団基幹で戦車約1,000輌と比較的大規模な兵力を整備しており、平時6個旅団編成のうち、1個旅団は前方展開部隊として西ドイツに駐屯していた〔オランダ陸軍の編成と装備,高井三郎,『PANZER』第91号,サンデーアート社,1982年10月〕。冷戦の終結、ソ連邦崩壊及びドイツ再統一により、NATO域内における軍事的脅威が消滅すると、NATO各国では兵力削減が進められるとともに〔NATO―21世紀からの世界戦略,佐瀬昌盛,文藝春秋,1999年,ISBN 9784166600564〕、即応及び域外派遣用の多国籍部隊の編成が進められた〔欧州における安全保障構造の再編,金子讓,防衛研究所紀要,第9巻第2号,2006年12月 〕。1995年には、ドイツとの合同部隊である第1ドイツ=オランダ軍団が創設されている〔history 1 (German/Netherlands) Corps 〕。
徴兵制を廃止し、1997年からは全志願制となっており〔日本外務省 オランダ基礎データ 〕、2011年には戦車を全廃している〔オランダ国防省HP,Dutch tank history ends with a bang,2011-05-26 〕。2015年時点において、オランダ陸軍は3個旅団基幹、現役兵約20,000人となっている。
平和維持活動には1979年から1985年にかけてレバノンに、1991年から旧ユーゴスラビアに派遣され現在も継続中で、1992年から1994年までカンボジアに、1995年から1996年までハイチに、1998年から1999年までキプロスに、2001年にエリトリアエチオピアに、2003年から2005年までイラクに、2002年から2010年までアフガニスタンに、2008年からはチャドにそれぞれ派遣されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オランダ陸軍」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Royal Netherlands Army 」があります。




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