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オットー・メンヒェン=ヘルフェン : ミニ英和和英辞書
オットー・メンヒェン=ヘルフェン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・メンヒェン=ヘルフェン : ウィキペディア日本語版
オットー・メンヒェン=ヘルフェン[ちょうおん]
オットー・メンヒェン=ヘルフェンOtto John Mänchen-Helfen1894年7月26日 - 1969年1月29日)は、オーストリアウィーン出身の民俗学者歴史学者・旅行家。
ウィーン大学で学んだ後、ヨーテボリライプツィヒに遊学。
1927年から1930年にかけて、モスクワのマルクス・エンゲルス協会に勤務。
1929年トゥバへ旅行に赴く。彼の名前を高めたのはこの体験をもとに記された旅行記『トゥバ紀行』であった。当時、ヨーロッパ人未踏の地であったソビエト・ロシアの支配下にあったトゥヴァ人民共和国を旅して、その国内の実情を著した。1931年に出版されたこの書はソビエト・ロシア支配の暗部についても大幅に触れており、その体制に批判的な論であったためにソビエト・ロシアからは激しく攻撃される一方、トゥバ地域についてまったくの無知であった当時のヨーロッパ人からは賞賛された。
1933年ベルリン大学の講師に就任。
1938年ナチスへの協力を拒み、アメリカ合衆国に移住。
1946年カリフォルニア大学バークレー校教授となる。
1969年、カリフォルニア州バークレーで死去。
== 著作 ==

* "Reise ins Asiatische Tuwa"(1931年)
 * 『トゥバ紀行』(田中克彦訳 岩波文庫、1996年)
* 「太陽を射る話」(山田仁史訳、『比較民俗学会報』29巻3号・4号、2009年)





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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