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オットー・フォン・フライジング : ミニ英和和英辞書
オットー・フォン・フライジング[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

オットー・フォン・フライジング ( リダイレクト:フライジングのオットー ) : ウィキペディア日本語版
フライジングのオットー[ちょうおん]

フライジングのオットーOtto von Freising、1111年または1114年 - 1158年〔)はドイツ司教歴史書記者〔。日本語ではフライジンクのオットーオットー・フォン・フライジングなどと表記されるが、本項では以降、「オットー」とのみ表記する。
== 生涯 ==
レオポルト3世の5男として生まれる〔。レオポルト3世はクロスターノイブルクにを設立し、その基金によってオットーをパリ留学させた。1132年、オットーはパリでの留学を終えての帰路にて立ち寄ったモリモン修道院に魅せられ、その場でシトー会に入会し、同行していた15名の貴族も巻き添えにモリモン修道院で生活することにしてしまった〔。息子が帰ってこないので困ったレオポルト3世はなんとか呼び戻そうと、またオットーの影響も受けハイリゲンクロイツ修道院を1135年に創設した〔。しかし既にオットーはモリモン修道院の院長に収まっており(1136年〔)、結局帰郷するのは1138年になってからで、帰郷するとそのままフライジング司教の任に着いた〔。オットーは1143-46年に1つの著名な書物を書き上げた。後述の「年代記」である。1147年には第2回十字軍にも参加し、エルサレムにも行った〔。1158年9月22日、モリモン修道院で死去した〔。オットーの聖遺物はハイリゲンクロイツ修道院におさめられている

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フライジングのオットー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Otto of Freising 」があります。




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