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エロティカ : ミニ英和和英辞書
エロティカ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


エロティカ : ウィキペディア日本語版
エロティカ

エロティカ(erotica、エロチカ、エロス作品、官能作品、性愛作品、ギリシャ語で性愛を意味する「エロス」より)は、エロティシズム(色情)を刺激したり性的興奮を起こしたりする官能的な描写を扱う文学性愛文学官能小説・好色文学)・写真映画絵画春画など)・彫刻などの芸術作品を指す。
元々エロティカは、人間の肉体を、芸術的な意図やハイアートを制作するという抱負とともに描く作品を指す近代の用語で、商業的・金銭的な意図から制作されるポルノグラフィとは別とされる。
== エロティカとポルノグラフィとの間、芸術とポルノとの間 ==


一般的には、「エロティカ」は、性的興奮を起こす素材を扱う作品のうち、芸術的・科学的な価値を意図したり残したりしているものを指し、「ポルノグラフィ」は、性を好色に描写し芸術的価値が少ないか全くないものを指す。
エロティカとポルノグラフィ(あるいは性的娯楽作品)との違いを区別することは、不可能とはいわないまでも非常に難しい。エロティック・アートというものの存在を支持する立場からは、エロティカは性的な面白さより芸術的な面白さを追求するものであり、それゆえポルノとは違うとされる。しかし、エロティカも実際は性的興奮を起こすことを目的としているとして、このような主張を退ける意見もある。一方では、金儲けを目的としたポルノが、裸体芸術や性科学などの名目で公開されてきた歴史がある(例えば性科学映画など)。他方では、商業的目的で製作され、性を商業化するものとして糾弾されることのあるピンク映画などのポルノ映画やヌード写真の中には、制作者の作家性を見出され芸術作品として評価されるものもある。
エロティカとポルノとの間を区別することが可能かどうかという問題は、多くの複雑な疑問を生む。こうした疑問の中には、作品から起こされる美学的な感情と官能的な感情は互いに独立したもので切り離せるものかどうか、あるいは作品内の芸術性や商業性の度合いを客観的に計ることができるかどうか、どの時点で作品はポルノと呼ばれるのかどうか、などが含まれる。
こうしたことから、性を描いた小説や写真・映画などが、税関で没収されたり上映・出版・展覧に反対運動が起きたり禁止の措置が下されたりするような時、その作品を享受されるべき芸術作品とするか享受されるべきでないわいせつ物とみるかで様々な裁判や事件が発生してきた。
裸婦像は、ルネサンス以後のヨーロッパではギリシア神話などに仮託して描かれてきたが、しばしば弾圧や破棄の対象となってきた。17世紀のスペインでは裸婦像は禁じられ、異端審問所による没収や画家の処罰が行われた。裸婦を描くことが比較的自由であったフランスでも、ヌードを描いたレオナルド・ダ・ヴィンチの『レダと白鳥』が破棄されるなどの事件がおきている。しかし貴族階級では、芸術と道徳の問題を切り離して考える者もおり、王侯貴族は個人的に多数の裸婦像を所持したり描かせたりしてひそかに愉しんだ〔鏡のヴィーナスの項目の「17世紀のスペイン裸婦画」の節も参照。〕。
19世紀のヨーロッパでは、ヌード絵画や彫刻が宮廷から市民社会へと進出したが、その過程で様々な抵抗を受けた。イギリスでは、ギリシャ・ローマへの関心の高まりや、健康悪化や理性至上主義への反省、国民の身体を剛健なものにするという必要からヌードへの関心が高まったが、一方では宗教道徳あるいは社会改良の立場からヌードやわいせつ物が攻撃された。またしばしば美術館や写真店がヌード作品の展示により非難を浴びた〔『ヴィクトリアン・ヌードへの道徳的反応』 アリソン・スミス, 「ヴィクトリアン・ヌード 19世紀英国のモラルと芸術」展図録 p.16-21, 2003年〕。特に1857年の猥褻出版物取締法制定後には、どこからが芸術でどこからがわいせつかという区別が論争の種になった。1885年にはロイヤルアカデミーなどへのヌード絵画の出品が目に余るとする匿名の婦人が「タイムズ」に投書を寄せ、ヌード作品により観客は気分を害され、しかも若い女性がヌードモデルとなることで観客の好色の目にさらされ堕落する危険があるとして展覧会のボイコットを訴えた〔。これに対し、多くの新聞を舞台に芸術家と運動家との間でヌード作品の存在意義をめぐる論戦が起きた。ヴィクトリア朝時代には画家らは神話や古代の舞台を借りて官能的なヌードを描いたものの、20世紀の前半にはこうした作品は慣習的なアカデミズムや上品ぶった中の淫らさへの関心などがやり玉にあげられ、長い間冷遇された〔。
日本では明治以降、ヨーロッパからヌードデッサンが芸術教育に採り入れられたが社会の抵抗は大きく、初期の裸体画(例えば黒田清輝の『朝妝』)は未成年閲覧禁止措置が取られた。また第二次世界大戦後には『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳出版をめぐるチャタレー事件、『四畳半襖の下張』の雑誌掲載をめぐる四畳半襖の下張事件などが起きている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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