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エドワード・ピアソン・ラムゼー : ミニ英和和英辞書
エドワード・ピアソン・ラムゼー[らむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラム : [らむ]
 【名詞】 1. (1) lamb 2. (2) rump 3. (3) rum 4. (4) RAM (random access memory) 5. (P), (n) (1) lamb/(2) rump/(3) rum/(4) RAM (random access memory)

エドワード・ピアソン・ラムゼー : ウィキペディア日本語版
エドワード・ピアソン・ラムゼー[らむ]

エドワード・ピアソン・ラムゼー(Edward Pierson Ramsay、1842年12月3日 - 1916年12月16日)は、オーストラリア鳥類学を専門にする動物学者である。
==生涯==
シドニーの Long Coveに生まれた。パラマタのキングズ・スクールで学んだ後、1863年からシドニー大学医学を学ぶが、卒業することはなかった。動物学の公的な教育を受けることはなかったが、博物学に熱心に取り組む、多くの論文を書いた。1863年にニューサウスウェールズ昆虫学会の保管係(treasurer)であり、『オーストラリアの鳥卵学』("Oology of Australia")に関する論文をフィロソフィカル・ソサェティに寄稿した。フィロソフィカル・ソサェティがニューサウスウェールズ王立協会に改組されると、フィロソフィカル・ソサェティでの活動が評価されて終身会員に選ばれた。
1868年に兄弟とクィーンズランドでサトウプランテーションを始めるが、成功しなかった。1874年に創立されたニューサウスウェールズ・リンネ協会の創立メンバーであり、創立から1892年まで運営委員会のメンバーであった。オーストラリア博物館の、オーストラリア人として最初の学芸員になり、原住民の武器、衣服、食器、装飾品の多くを収集品に加えた。1876年から健康を害して辞任する1894年まで、シドニーのオーストラリア博物館のオーストラリアの鳥類の目録を出版した。
1883年にロンドンで開かれた国際魚類展示会に参加し、インドビルママレーシアなどで数十年に渡り、魚類を収集した軍医のフランシス・デイと出会った。デイから収集品の一部を購入した。学芸員を辞任後もコンサルタントとして博物館に貢献した。
スッポンモドキ(''Carettochelys insculpta'')やジャイアントバンディクート(''Peroryctes broadbenti'')、ハイガシラヤブヒタキ(''Heteromyias cinereifrons'')、キガタキンショウジョウインコ (''Alisterus chloropterus'') などを記載した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エドワード・ピアソン・ラムゼー」の詳細全文を読む




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