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エトルリア : ウィキペディア日本語版
エトルリア

エトルリア()は、紀元前8世紀から紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群。ギリシャ語ではティレニア ( )。
各都市国家は宗教・言語などの面で共通点があり、統一国家を形成することはなかったものの、12都市連盟と呼ばれゆるやかな連合を形成し、祭司・軍事で協力することもあった。
古代ギリシアとは異なる独自の文化を持っていた。当時としては高い建築技術を持ち、その技術は都市国家ローマの建設にも活かされた。王政ローマの7人の王の最後の3人はエトルリア系である。
鉄を輸出し古代ギリシアの国家と貿易を行っていた。
夫婦と思われる男女の横たわる石像が残っており、男女平等の考えを持つ稀な民族だった。
==沿革==

ヘロドトスによれば、エトルリア人は小アジアリディアからこの地にやってきたと言う。一方、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、エトルリア人はイタリア古来の民族だと述べている。現在の調査では正式には、エトルリア人が小アジアの出自である事を直接結び付ける証拠はない。しかしながら、ある調査ではエーゲ海レムノス島では紀元前6世紀までインド・ヨーロッパ語ではない民族が居住していた跡が見られ、その民族の言語がエトルリア人と似ている事が指摘されている。
また、エトルリア人は海を往来する民族でもあり、古代地中海世界の至るところからその存在が記述されている。一説には古代エジプト第20王朝に記述のある「海の民」はエトルリア人ではなかったかとも言われている。
エトルリア人について残る最も古い記述は、ヘーシオドスの著した『神統記』の中に「ティレニア海の輝けるすべての民」として、イタリアにおける非ギリシア民を含む意味合いで言及されている。ヘシオドスは彼の著作を紀元前7世紀初め頃に記しているが、この時期(紀元前690年 - 680年)の最も古いエトルリアの碑文に、すでにアルファベットの使用が認められ、これはエトルリア商人が商業地であるクマ(現在のナポリ近郊)でギリシア人との交易から、少なくともこれより70年前に学んだものであることは確実である。
エトルリアは、紀元前10世紀頃から花開いたヴィッラノーヴァ文明に端を発する。可能性として、すでにこの半島の各地にそれぞれ異なる文化圏の形成があったと考えられ、これがかのヴィッラノーヴァ文明にほかならない。
紀元前4世紀、ローマの勢力が強くなると、周縁の都市から順に少しずつローマに併合され、最終的には完全にローマに同化した。紀元前87年ユーリウス法で、エトルリア人もローマ市民権を得ている。
エトルリアの名前は、近世イタリアエトルリア王国や現代イタリアのトスカーナ州(「エトルリア人の土地」の意)、ティレニア海(「エトルリア人の海」の意)として残っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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