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エッパ・リクシー : ウィキペディア日本語版
エッパ・リクシー[ちょうおん]

エッパ・リクシーEppa Rixey, 1891年5月3日 - 1963年2月28日)は、1910年代 - 1920年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手バージニア州カルペパー町生まれ。左投げ右打ち。ニックネームは名前に引っ掛けた"Jephtha"エフタ:古代イスラエルの士師のこと)。通算266勝を上げ、ウォーレン・スパーンが破るまで、左腕投手の通算勝利数ナショナルリーグ記録を持っていた。
==略歴==
バージニア大学を卒業後1912年にフィリーズに入団。23試合に登板して10勝10敗、防御率2.50の成績を上げ、先発投手として定着する。フィリーズでは1915年にワールドシリーズに出場、翌1916年には22勝を上げ、ピート・アレクサンダールーブ・マーカードに次ぐ防御率1.85を記録した。
1918年は第一次世界大戦のため従軍し、まる1年野球をしなかった。復帰後2年ほどは負けが込んでしまい、1920年オフにフィリーズからレッズに移籍。レッズ移籍後リクシーはかつての勢いを取り戻し、1922年には25勝13敗で最多勝利投手となり復活を果たす。1930年以降は衰えを隠せなくなったが、レッズには42歳まで在籍し、その間20勝以上を3度(1922年、1923年、1925年)記録している。1933年に現役を引退。通算266勝は、当時左腕投手の勝利数のナショナルリーグ記録だった。
1959年にレッズ球団の殿堂入り選手となり、1963年にはベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1963年シンシナティにて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エッパ・リクシー」の詳細全文を読む




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