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ルーブ・マーカード : ミニ英和和英辞書
ルーブ・マーカード[かー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
カー : [かー]
 【名詞】 1. car 2. (n) car

ルーブ・マーカード : ウィキペディア日本語版
ルーブ・マーカード[かー]

ルーブ・マーカードRichard William "Rube" Marquard, 1886年10月9日 - 1980年6月1日)は、1910 - 1920年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手オハイオ州クリーブランド生まれ。左投げ、スイッチヒッター。ニックネームの"Rube"(『田舎者』の意)は、マイナーリーグ時代に、当時活躍していた左腕投手ルーブ・ワッデルになぞらえて記者がつけたもの。
==略歴==
1908年にマイナーのインディアナポリス球団から、当時としては破格の11,000ドルの契約金でニューヨーク・ジャイアンツに入団する(当時は契約金13,000ドルと報じられ、当時マーカードは『13,000ドルのレモン』と呼ばれた)。しかし2年目の1909年は29試合に登板し、防御率2.60ながら5勝13敗、3年目は13試合で4勝4敗となかなか勝ち星に恵まれなかった。
しかし4年目の1911年に、縦に落ちる変化球を習得して成績が急上昇する。同年リーグ最多の奪三振237を含む24勝を上げ、ジャイアンツをリーグ優勝に導く。次の1912年は開幕から負け知らずで、開幕戦の4月11日から7月3日にかけて、19世紀のティム・キーフの記録に並ぶシーズン19連勝を含む26勝を挙げて最多勝利投手となった。翌1913年も23勝10敗とし3年続けて20勝以上を上げ、ジャイアンツのリーグ3連覇に貢献した。この頃マーカードが投げていた変化球は、現在でいうスプリットフィンガード・ファストボールの原型ではないか、という一部野球史家の指摘がある。〔馬立勝・伊東一雄 1991『野球は言葉のスポーツ アメリカ人と野球』 中公新書〕
1915年4月にはノーヒットノーランを達成するも不調で、同年シーズン途中にブルックリン・ロビンズに移籍する。ロビンズには5年間在籍し、ワールドシリーズには2度出場した。その後レッズ、ブレーブスと球団を渡り、1925年、38歳で現役を引退する。引退時の通算奪三振数は、当時左腕投手として歴代3位の数だった。
1971年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1980年にボルチモアにて死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルーブ・マーカード」の詳細全文を読む




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