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ウンベルト2世 : ウィキペディア日本語版
ウンベルト2世[うんべると2せい]

ウンベルト2世(、1904年9月15日 - 1983年3月18日)は、イタリア王国の第4代にして最後の国王(在位:1946年5月9日 - 6月12日)。即位時に父王が得たアルバニア王位エチオピア帝位は放棄しているため、両位は継承していない。金羊毛騎士団団員、エルサレム国王サルデーニャ国王ピエモンテ公などを称号として持つ。第二次世界大戦後、国民投票により廃位されて国外追放となり、ウンベルト・ビアンカマーノから続いて来た王家としてのサヴォイア家は終焉を迎えた。
短期間の在位を指して五月王 (Re di Maggio) と呼ばれた他、亡命生活ゆえか英語名由来でハンバート2世、フランス語名由来でアンベール2世の呼称も日本語文献に見られる。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
1904年9月15日、サヴォイア家の離宮ラッコニージ城で、イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とその妃であるモンテネグロ王女エレナの長男として生まれる。
両親の他に4人の姉妹(ベルゴーロ伯爵夫人イオランダ・マルゲリータヘッセン=カッセル方伯夫人マファルダブルガリア王妃ジョヴァンナパルマ公子夫人マリーア・フランチェスカ)がおり、年齢的にはヨランダとマファルダの弟で、ジョヴァンナとフランチェスカの兄にあたる。他にサヴォイア家としては数少ないスラブ人の血を引く当主として、ユーゴスラビア王国カラジョルジェヴィチ家とも親族にあたる。
大規模なゼネストが展開される中の王子誕生に、ジョヴァンニ・ジョリッティ政権下の議会によるウンベルトの立太子の承認は慌しく行われた。父は息子にローマ王の称号を与えることを望んだものの、教会の反発を恐れる周囲の説得を受けて、それまでと同じくピエモンテ公に叙任した。カトリック形式(母エレナは父との婚姻で東方正教会からカトリックに改宗した)の洗礼式にも教会との対立が尾を引いていたものの各国王侯が列席し、父エマヌエーレ3世に抱かれたウンベルト2世はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世代父洗礼を終えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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