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ウバイドゥッラー・ハン : ミニ英和和英辞書
ウバイドゥッラー・ハン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウバイドゥッラー・ハン : ウィキペディア日本語版
ウバイドゥッラー・ハン[ちょうおん]
ウバイドゥッラー・ハン1485年 - 1540年)は、シャイバーニー朝ブハラ・ハン国の君主(ハン、在位:1533年 - 1540年)。シャイバーニー朝の創始者であるアブル=ハイルの曾孫で、ムハンマド・シャイバーニーの甥にあたる。
== 生涯 ==
父マフムードの死後に、ウバイドゥッラーは父に付与されていたブハラを相続する。1507年にシャイバーニーがティムール朝の支配下に置かれているホラーサーン地方への遠征を実施した際、ウバイドゥッラーも遠征に従軍して優れた軍功を立てた〔セミョノフ「チムール以降のウズベキスタン史」『アイハヌム 2009』、80頁〕。シャイバーニーの治世の末期に領地のブハラを没収されるが、1510年にシャイバーニーが戦死した後にブハラは返還される〔セミョノフ「チムール以降のウズベキスタン史」『アイハヌム 2009』、82-83,95頁〕。
シャイバーニーの死後、ウバイドゥッラーは年長のクチュクンジアブー・サイード親子に君主の地位を譲った〔堀川「ウバイドゥッラー・ハン」『中央ユーラシアを知る事典』、82頁〕。クチュクンジ在位中、ウバイドゥッラーは軍事・外交を担当し、内政の中心だったクチュクンジと国務の役割を分担した〔堀川「民族社会の形成」『中央アジア史』、156頁〕。1511年にイランのサファヴィー朝と同盟したティムール朝の王族バーブルサマルカンドに進軍すると、ウバイドゥッラーはブハラを放棄してテュルキスタン(ヤシ)に退却した〔セミョノフ「チムール以降のウズベキスタン史」『アイハヌム 2009』、96頁〕。ウバイドゥッラーは軍を建て直し、翌1512年に従兄弟のムハンマド・ティムールと共にマー・ワラー・アンナフルの奪還を図ってサマルカンドを占領したバーブルを攻撃した。1512年春にウバイドゥッラーはバーブルから勝利を収めてサマルカンドを奪回し、中央アジアからバーブルの勢力を駆逐した〔間野『バーブル』、18-19,43-44頁〕。
1533年にウバイドゥッラーはブハラで即位する。即位後もウバイドゥッラーはブハラを本拠地とし、ブハラの重要性は増していった〔堀川徹「モンゴル帝国とティムール帝国」『中央ユーラシア史』収録(小松久男編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2000年10月)、233頁〕。ウバイドゥッラーはサファヴィー朝支配下のホラーサーン地方に8度の遠征を実施し、ヘラートマシュハドを一時的に領有した〔。
ウバイドゥッラーの死後、アブドゥッラー1世の短期の統治期間を経て、シャイバーニー朝はブハラの政権とサマルカンドの政権に二分される。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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