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マシュハド : ウィキペディア日本語版
マシュハド

マシュハド(; Mashhad)はイラン第二の都市でシーア派聖廟都市のひとつ。テヘランの東、約850kmに位置し、ラザヴィー・ホラーサーン州の州都である。2006年現在の人口は約250万人。日本語ではマシャド、マシュッハド、メシェド、メシェッド、マスハッド、マシュハッドなどと表記されるがいずれも著しい転訛。
== 歴史 ==
開基は823年にさかのぼる。この年はシーア派12イマーム派の第8代イマームアリー・アッ=リダーの没した年であり、マシュハドとはマシュハデ・レザー、すなわちリダー(現代ペルシア語読みでレザー)の殉教地の意である。アリー・アッ=リダーは以前にサナーバードという小村であったこの地で、アッバース朝カリフマアムーンの命により暗殺されたとシーア派では考える。こうしてサナーバードにはイマームの死没地としてモスクが建設され、徐々にその周囲に街が形成されるようになった。ガズナ朝スルタン・マフムードが建立した墓廟はマシュハドの最初期の主要建築の一つである。現在、聖廟とその博物館(アースターネ・クドゥス・ラザウィー)はイラン最大規模の手稿本、絵画などの文化的芸術的宝庫となっており、また重要な学派も聖廟との関わりをもつ。1912年、イマーム・レザー廟がロシア軍に爆破され、全世界のシーア派ムスリムに広範な憤激を呼び起こした。
マシュハドの宗教的重要性は巡礼地でもあるという点にもあらわれている。たとえば「富者はマッカへ、貧者はマシュハドへ」と言われるし、またマッカ巡礼を果たし、ハーッジの称号を冠するに至った者もまた、次にはマシュハド巡礼(特にイマーム・リダー廟)をおこない、マシュティーの称号を得るのである(住民もマシュティーと呼ばれる)。現在も年間約2000万人のムスリムがマシュハドを巡礼に訪れる。
政治史的にもマシュハドは重要な都市である。1736年~47年にイランを統治したアフシャール朝ナーディル・シャーのもとでは首都として繁栄し、聖廟も多大の援助を受けている。ホラーサーンの北部がロシア領、ヘラートを中心とする東部がアフガニスタン領となったガージャール朝以降、マシュハドはイラン領ホラーサーンの中心都市として、さまざまな歴史的事件の舞台となっている。
主要人口はムスリムが占めたものの、数世紀にわたり宗教的少数派の多い街でもあった。たとえば1839年に強制改宗させられたユダヤ人などがおり、「ジャディード・アル=イスラーム」(イスラームの新参者)と呼ばれ、表面上はムスリムの習慣に従ったが、実質的にはユダヤ教徒のアイデンティティ・伝統を維持し、宗教的二重生活をおこなった。また近代ではバハーイー教の弘通が著しかった場所であり、また最大の迫害が行われた都市でもある。最近のものでは1998年、2人のバハーイー教徒が処刑されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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