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ウスマーン・イブン・アッファーン : ミニ英和和英辞書
ウスマーン・イブン・アッファーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ウスマーン・イブン・アッファーン : ウィキペディア日本語版
ウスマーン・イブン・アッファーン[ちょうおん]

ウスマーン・イブン・アッファーン( ‘Uthmān ibn ‘Affān b. Abī al-‘Āṣ b. Umayya, 574年?〔嶋田「ウスマーン・イブン・アッファーン」『世界伝記大事典 世界編』2巻、223-224頁〕/76年?〔森、柏原『正統四カリフ伝』下巻、4頁〕 - 656年6月17日〔ルイス『イスラーム世界の二千年』、100-101頁〕〔森、柏原『正統四カリフ伝』下巻、147頁〕)は、イスラームの第3代正統カリフ(在位644年 - 656年)。マッカ(メッカ)のクライシュ族の支族であるウマイヤ家の出身。預言者ムハンマドの教友(サハーバ)で、ムハンマドの娘婿にあたる。
ムハンマドの妻ハディージャを除いた人間の中では、ウスマーンは世界で2番目にイスラームに入信した人物として数えられている〔森、柏原『正統四カリフ伝』下巻、11頁〕。クルアーン(コーラン)の読誦に長けた人物として挙げられることが多い7人のムハンマドの直弟子には、ウスマーンも含まれている〔小杉『イスラーム文明と国家の形成』、297頁〕。651年頃、ウスマーンの主導によって、各地に異なるテキストが存在していたクルアーンの版が統一される〔佐藤『イスラーム世界の興隆』、83,358頁〕。656年にウスマーンは反乱を起こした兵士によって殺害され、その死はイスラーム史上初めてカリフが同朋のイスラム教徒に殺害された事件として記憶された〔ルイス『イスラーム世界の二千年』、101頁〕。莫大な財産を有していたことから、ウスマーン・ガニー(「富めるウスマーン」の意)と呼ばれた〔森、柏原『正統四カリフ伝』下巻、7頁〕。また、ムハンマドの2人の娘と結婚していたことから、ズンヌーライン(و النورين‎ Dhū al-Nūrain、「二つの光の持ち主」)とも呼ばれる〔小杉「ウスマーン・イブン・アッファーン」『岩波イスラーム辞典』、196頁〕。
== 生涯 ==

=== イスラームへの帰依前 ===
ウマイヤ家の豪商アッファーン・イブン・アビー・アル=アースとアルワ(ウルワー)の子として、ウスマーンは生まれる。母のウルワは預言者ムハンマドの従姉妹にあたる〔。
ウスマーンの幼年期については、不明な点が多い〔。子供のころに厳格な教育を受けたと思われ、マッカに住む若者の中でも特に読み書きに長けた人間に成長した〔森、柏原『正統四カリフ伝』下巻、6頁〕。幼少のウスマーンが他のアラブ人の子供に混ざって脱いだ服に石を集めて運ぶ遊びをしていた時、何者かに「服を着よ、肌を出してはならない」と言われてすぐに遊びを止めて服を着、以来人前で服を脱ぐことは無くなったという伝承が残る〔。
ウスマーンが20歳になった時、父のアッファーンが旅先で客死し、ウスマーンは父の遺した莫大な財産を相続した〔。父と同様に交易に携わったウスマーンは事業で成功を収め、跡を継いだ数年後にはクライシュ族内でも有数の富豪になっていた〔。商売で不正を行うことは無く、慎重かつ公正な姿勢を心掛けていた〔森、柏原『正統四カリフ伝』下巻、8頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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