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アンブロワーズ・ヴォラール : ミニ英和和英辞書
アンブロワーズ・ヴォラール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンブロワーズ・ヴォラール : ウィキペディア日本語版
アンブロワーズ・ヴォラール[ちょうおん]

アンブロワーズ・ヴォラール(Ambroise Vollard、1866年7月3日レユニオンサン=ドニ - 1939年7月21日ヴェルサイユ)は、19世紀末から20世紀初頭のフランスでもっとも重要だった美術商の一人。有名無名の多くの美術家たち(その中には、ポール・セザンヌパブロ・ピカソポール・ゴーギャンフィンセント・ファン・ゴッホジョルジュ・ルオーアリスティード・マイヨール印象派ポスト印象派の画家がいる)に対して物質的・精神的な援助を行い、個展を開いて世界に知らしめたことで特筆される存在である。また、彼は熱心な美術コレクター、美術書出版者としても知られている。
== 略歴 ==

ヴォラールはインド洋に浮かぶフランス植民地レユニオン島で生まれ育った。彼はフランス本国に法学を学びに渡り、最初はモンペリエで、そしてパリで法学校に通い1888年に学位を得た。
その間、ヴォラールはアマチュア画商に転向し、1893年には当時パリの現代美術市場の中心地だったラフィット街(Rue Laffitte)に自分の画廊を持つようになった。ここで最初にエドゥアール・マネの大きな個展を開催した後、ゴーギャンやゴッホ(1895年6月、ゴッホは1890年に没していた)といった美術家の展覧会を矢継ぎ早に開いた。美術評論家のガブリエル・ムレ(Gabriel Mourey)の当時の言によれば、これは絶体絶命の綱渡りのようなことであった。
ヴォラールの外見や顔つきについてはさまざまに言及されているが(「がっかりしたような目」をした、「大きく、無愛想で、野暮なやつ」など)一方で彼は無名な画家の作品を安く買い、有名にして高く売って財を築いた抜け目のないビジネスマンであった(その仕事ぶりのため、ドガピカソからは嫌われていたという)。彼の顧客にはアメリカの発明家でフィラデルフィアに印象派などの大コレクション・バーンズ・ファウンデーションを開設したアルバート・バーンズ、アメリカの砂糖王ヘンリー・オズボーン・ハヴマイヤー、作家ガートルード・スタインとその兄弟のレオ・スタインら、多くのアメリカ人富豪がいる。また、ヴォラールはセザンヌ、ドガルノワールらの伝記を著した。
ヴォラールは1939年7月21日、自動車事故で死去した。彼の集めたコレクションなどの遺産は、彼の兄弟および愛人に分割された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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