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アンヌ・ド・フォワ : ミニ英和和英辞書
アンヌ・ド・フォワ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アンヌ・ド・フォワ : ウィキペディア日本語版
アンヌ・ド・フォワ

アンヌ・ド・フォワ(, 1484年 - 1506年7月26日)は、ハンガリーボヘミアの王ウラースロー2世の3番目の妃。家名はフォワ=カンダル(Foix-Candale)ともされる。ハンガリー語名はツァンダレ=イ・アンナ()、チェコ語名はバスク語名は、オック語名は。''、バスク語名はオック語名は。''、オック語名は''。
== 生涯 ==
フランス貴族フォワ伯家の傍系出身で、名目上のケンダル(カンダル)伯ガストン2世・ド・フォワと最初の妻であるナバラ王女カトリーヌ〔フォワ伯ガストン4世とナバラ女王レオノールの三女。〕の娘として生まれた。従妹ジェルメーヌ〔ガストン4世とレオノールの三男ジャンの娘。母はルイ12世の姉マリー・ドルレアン。祖母レオノールの異母弟アラゴン王フェルナンド2世の後妻となった。〕とともに、フランス王ルイ12世の宮廷で従姉である王妃アンヌ・ド・ブルターニュ〔ガストン4世とレオノールの四女マルグリットの娘。〕に育てられた。〔他にフォワ家のいとことして、ナバラ王フランシスコ1世と女王カタリナの兄妹、ヌムール公ガストン(ジェルメーヌの弟)がいる。又従妹にはフランソワ1世の愛妾になったフランソワーズがおり、同じく王妃アンヌに育てられた〕。
1502年、ウラースロー2世の3番目の王妃として迎えられた。政略結婚であったが、ウラースローとアンナの結婚は幸福なものであった。2人は1男1女をもうけた。
*アンナ1503年 - 1547年) 後にボヘミアハンガリーの王位を継承し、神聖ローマ皇帝にもなるハプスブルク家フェルディナント大公と結婚。
*ラヨシュ2世1506年 - 1526年) ハンガリーとボヘミアの王。フェルディナントの妹マリアと結婚。
ラヨシュの出産後まもなく、22歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンヌ・ド・フォワ」の詳細全文を読む




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