翻訳と辞書
Words near each other
・ オックスフォード=アスキス伯爵
・ オックスフォード=モーティマー伯
・ オックスフォード=モーティマー伯爵
・ オックスブリッジ
・ オックスプレノロール(冠動脈拡張薬)
・ オックスレイ選挙区
・ オックス・ブリッジ
・ オックス・ベイカー
・ オックス・ベル・ハ
・ オックス・ベーカー
オック語
・ オック語版ウィキペディア
・ オッグ
・ オッケルイペ
・ オッケー
・ オッケー!
・ オッケー.
・ オッケー航空
・ オッココク
・ オッコ・カム


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オック語 : ウィキペディア日本語版
オック語[おっくご]

オック語( または )は、ロマンス語の一つで、フランスの南部、正確にはロワール川以南から、現在のローヌ=アルプ地域圏一帯、バスク語圏、カタルーニャ語圏を除いた地域で話されている諸言語の総称である。フランス以外にもイタリアピエモンテ州の一部で話されている。スペインカタルーニャ州アラン谷でもオック語の一つであるガスコーニュ語の方言アラン語が話されていて、2010年にカタルーニャ州の公用語の一つに認められた〔もともとアラン谷地域の公用語の一つとされていた。2006年のカタルーニャ州自治憲章の改訂によって、州の公用語になった。〕。
政治的な理由からフランス語オイル語から派生した)の方言とされてきたが、スペイン語イタリア語フランス語同様、俗ラテン語から派生したロマンス語の一つである。ガロ・ロマンス系のフランス語(オイル語)よりむしろイベロ・ロマンス系のカタルーニャ語に近い。
オック語を第一言語とする話者は、789,000人であろうとされている〔Fabrice BERNISSAN (2012). "Combien l'occitan compte de locuteurs en 2012 ?", ''Revue de Linguistique Romane'', 76 (12/2011-07/2012), pp. 467-512.〕〔« De fait, le nombre des locuteurs de l’occitan a pu être estimé par l’INED dans un premier temps à 526 000 personnes, puis à 789 000, » ("In fact, the number of occitan speakers was estimated by the French Demographics Institute at 526,000 people, then 789,000") Philippe Martel, "Qui parle occitan ?" in ''Langues et cité'' n°10, December 2007.〕。
==歴史==

名称は、現代標準フランス語のoui(「はい」の意)に当たる言葉が ''oc'' であったことに由来しているとされ、中世イタリアの詩人ダンテも著書で言及している。(一方標準フランス語とされているロワール川以北では ''oïl'' であったことからオイル語と呼ばれる。)そもそも北フランスと南フランスは地理的に近いながらも大きく異なる歴史的経緯を経て今日に至っていて、それが言語的対立の遠因となっている。
北フランスは中世初期に西方から侵攻して来たフランク族に支配され、その王国(フランク王国)によって進められた中央集権化政策の下、ゲルマン語派に属するフランク族の言葉と俗ラテン語が混ざり合い形成されたオイル語が盛んに広められた。フランク王国が消滅し後裔のフランス王国が北フランスを支配する時代になっても、この傾向は続いた。一方、南フランスは様々な理由からフランク王国の完全な支配下には入らず、幾つかの貴族領に分かれて独自性を保ったので、その言葉もロマンス諸語としての特徴を色濃く残した言語として発展しオック語となった。中世時代の南フランスではオック語の文学作品や詩が盛んに記され、これは今日のオック語研究の要となっている。
北仏と南仏が本質的に統一されたのは宗教的対立をきっかけにして起きたアルビジョワ十字軍(1209〜1229年)によってであり、この戦いに敗れた南仏諸侯は北仏諸侯に服従した。フランス王国はオック語を歪んだ存在として否定し、公的な価値を剥奪した(ヴィレル=コトレの勅令)。オック語は公式の言葉ではなくなったが、民衆の話言葉として密かに生き残った。その後、フランス革命が勃発するとオック語を公用語とする自治区の形成が試みられたが、急進左派(ジャコバン派)の反発で頓挫してしまう。革命が潰えてもオック語復権の機運は消えなかったが、高まる運動が分離主義につながるのを危惧したフランス政府は1881年にオック語の学校教育を法律で禁止した。しかし、20世紀の初め、プロヴァンス語(オック語の一方言)の文学者フレデリック・ミストラルノーベル文学賞を受賞し、オック話者を大いに勇気づけた。
フランスは、近代国家による中央集権化の一環として言語の人為的操作を最も強硬に、また早い段階で進めてきた国家であり、方言禁止政策や標準語という名の人工言語の制定などは他の国家にとってのモデルケースとなった。しかし、こうした行為はかつてのローマ化と同じ緩やかな民族浄化政策と呼びうるものであり、特に冷戦終結後の欧州では欧州共同体が地方言語の保護を加盟各国に促すなど、見直しが進められつつある。しかし、欧州共同体の中核を成すフランス政府は依然として地方言語を方言として弾圧し、1999年シラク大統領が言語保護の条約にサインを拒否している。2008年6月21日にはフランス上院が地方言語の保護を求める条例を否決して、南部で大きなデモ活動が行われた。
マスメディアの浸透もあってオック語は窮地に立たされており、オック語話者の高齢化も指摘され、オック語を若い世代にどうやって継承するかが重要なテーマとなりつつある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オック語」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.