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アンナ・マクダレーナ・バッハ : ミニ英和和英辞書
アンナ・マクダレーナ・バッハ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンナ・マクダレーナ・バッハ : ウィキペディア日本語版
アンナ・マクダレーナ・バッハ[ちょうおん]

アンナ・マクダレーナマグダレーナ・バッハ(Anna Magdalena Bach, 1701年9月22日 - 1760年2月22日または2月27日 ライプツィヒ、旧姓ヴィルケ ''Wilcke'' )は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの後妻で、ドイツ声楽家
== 生涯 ==
ザクセン=ヴァイセンフェルス公の宮廷トランペット奏者、ヨハン・カスパール・ヴィルケの7人きょうだいの末子(姉5人、兄1人)としてツァイツに生れる。母マルガレータ・エリーザベトは、オルガニストの娘であった。
1720年には、アンハルト=ケーテン侯レオポルトの宮廷ソプラノ歌手としてケーテンでは有名だった。同地で1717年より宮廷楽長を務めるヨハン・ゼバスティアン・バッハと知り合いとなるが、ヴィルケ家とバッハ家は、音楽家同士として早くから交流があった可能性が高い。1721年12月3日にバッハと結婚した。バッハは前の年に先妻のマリア・バルバラを亡くしており、アンナと再婚した時には4人の子供を抱えていた。
バッハとの間に、1723年から1742年までおよそ20年にわたって13人の子をなしたが、そのうち7人は早世している。生き延びた子のうち、作曲家として名をあげたのが、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハヨハン・クリスティアン・バッハであった。
バッハとは16歳の年齢差があったが、共通する音楽への関心によって結ばれ(1730年にバッハが友人に送った手紙には「今の私の妻はなかなかよい澄んだソプラノを歌うゆえに」と綴っている)、幸せな家庭生活を送ったとされており、しばしばバッハの浄書稿や筆写譜の作成に協力した。このためアンナの筆跡は、時を経るにつれて、次第に夫に似るようになったと言われている。
バッハの死後1750年には、成人した息子たちはそれぞれ独立しており(未成年のクリスチャンは裕福な次男カール・フィリップに引き取られた)、アンナは2人の未婚の娘と同居を続けた。娘たちはアンナに尽くしたが、自立した息子たちから経済的に援助を受けていたという形跡は見られず、寡婦や未婚の女性たちと同じく、当時の慣習に従ってライプツィヒ市当局やライプツィヒ大学からの支援、臨時の寄付等により慎ましく余生を送ったようである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンナ・マクダレーナ・バッハ」の詳細全文を読む




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