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アレクサンドル・バクティン : ミニ英和和英辞書
アレクサンドル・バクティン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アレクサンドル・バクティン ( リダイレクト:サーシャ・バクティン ) : ウィキペディア日本語版
サーシャ・バクティン

サーシャ・バクティン(Sasha Bakhtine、1981年8月6日 - )は、ロシアチタ州(現・ザバイカリエ地方クラスノカーメンスク出身のプロボクサー。本名はアレクサンドル・バクティン(Alexander Bakhtin)。第60代日本バンタム級王者。第40代OPBF東洋太平洋バンタム級王者。協栄ボクシングジム所属選手としてプロデビュー。2009年より沖縄ワールドリングジム所属。速射砲のようなジャブと堅いディフェンスを武器とする。
== 来歴 ==
ロシアではアマチュアエリートとして1998年には欧州ユース選手権優勝・世界ユース選手権3位となるなど活躍。プロを目指して来日し、協栄ジム入り。勇利アルバチャコフらを世界王者に育て、エディ・タウンゼント賞を受賞したアレクサンドル・ジミンをトレーニングパートナーとする。
2000年11月20日後楽園ホールで行われたプロデビュー戦に6R判定勝利を収めた。
2003年2月17日仲宣明が返上し空位の日本バンタム級王座決定戦で、日本同級1位として同2位の額賀勇二を7RTKOで下し王座獲得。その後、瀬川設男川端賢樹らを相手に同王座を9度防衛。
2006年2月26日六本木の路上で2名を殴り怪我を負わせ、警視庁麻布警察署に傷害容疑で逮捕され、協栄ジムから解雇された。JBCより3か月の資格停止処分を科され、日本王座も返上。その後示談が成立し釈放されたため、2007年4月、協栄ジムに復帰〔帰ってきたロシアのエリートボクサー 日本王座連続9度防衛のサーシャ・バクティンが5月復帰へ スポーツナビ 2007年3月30日閲覧〕。同年7月1日、元OPBF東洋太平洋バンタム級王者ジェス・マーカを8RTKOで下し再起を果たした。2008年4月21日、元日本ライトフライ級王者本田秀伸との試合。ディフェンスマスターと綽名されKO負けの無い本田を7RKOでくだした。
2008年12月31日ロリー松下が世界戦のため返上し空位のOPBF東洋太平洋バンタム級王座決定戦を、広島サンプラザホールにて金成国と争い、10R負傷判定3-0で王座を獲得した。この試合はWBA世界フライ級タイトルマッチ坂田健史 vs. デンカオセーン・シンワンチャーの前座で行われた。その後、協栄ジムより沖縄ワールドリングジムへ移籍を決意。2009年1月24日までにJBCへ移籍届の提出を済ませた。
2009年7月5日、移籍初戦として沖縄北谷ドームで4位のリチャード・サモシルと対戦し、5度のダウンを奪って8RTKO勝利を収め、OPBF東洋太平洋バンタム級王座の初防衛に成功した〔沖縄移籍のサーシャ圧勝 東洋太平洋バンタム級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年7月5日閲覧〕。この後、同年10月9日付でOPBF王座を返上してロシアに帰国し〔サーシャが東洋太平洋王座返上 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年10月13日閲覧
返上の日付は、周辺事情を伝えるこの記事には10月8日とあるが、OPBFの公式サイトでは9日とされていた。〕、2か月余り後の12月25日にはプロ転向後初の日本以外における試合をモスクワで行い、9RTKO勝利を収めた〔サーシャ母国で勝利するも…相手がリング禍に ボクシングニュース「Box-on!」 2009年12月26日閲覧〕。
2010年2月22日、昨年12月に続き、故郷ロシアのリングでニック・オテーノ(ケニア)と対戦し、12回3-0(2者が120-107、120-108)の大差判定勝ちを収めた〔サーシャ、凱旋2戦目は判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月24日閲覧〕。
2011年3月27日、ホームタウンのモスクワ近郊バラシクバでムブワナ・マトゥムラ(タンザニア)と10回戦を行い、大差判定勝利を収めた〔サーシャ、元マイナー王者を完封 5月再登場 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年3月29日閲覧〕。
2011年5月21日、ロシア・モスクワでホセ・アンヘル・ベランサ(メキシコ)とノンタイトル10回戦を行い、ジャッジ2人が10点差をつける一方的な内容で大差判定勝利を収めた〔サーシャ、地元で27連勝マーク ボクシングニュース「Box-on!」 2011年5月22日閲覧〕。
2012年4月4日、元WBA世界バンタム級暫定王者ネオマール・セルメニョベネズエラ)とWBAインターナショナルスーパーバンタム級王座決定戦を行い、3-0の判定勝ちで王座を獲得した。
2012年9月18日、元OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級王者ロリ・ガスカフィリピン)とIBO世界スーパーバンタム級王座決定戦を行い、3-0の判定勝ちで王座獲得に成功した〔サーシャがIBO王座獲得 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年9月20日閲覧〕。
2013年4月20日、自身の健康問題を理由に引退を表明〔サーシャ・バクティン引退表明 31勝無敗 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年4月25日閲覧〕。今後は議員を目指す予定。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サーシャ・バクティン」の詳細全文を読む




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