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アルブレヒト・フォン・ローン : ミニ英和和英辞書
アルブレヒト・フォン・ローン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アルブレヒト・フォン・ローン : ウィキペディア日本語版
アルブレヒト・フォン・ローン[ちょうおん]

アルブレヒト・テオドール・エミール・フォン・ローン伯爵Albrecht Theodor Emil Graf von Roon, 1803年4月30日 - 1879年2月23日)は、プロイセン及びドイツ軍人政治家
(在職1859年-1873年)として国王ヴィルヘルム1世の軍制改革を任せられていた。オットー・フォン・ビスマルクを宰相に据え、軍制改革を断行してドイツ統一に関わる3つの戦争の勝利に貢献した。1873年には一時的にも務めた。軍人としての最終階級は元帥
== 概要 ==
プロイセン王国東部の土地貴族(ユンカー)の出身。陸軍幼年士官学校を出て、1821年にプロイセン陸軍に入隊。陸軍大学を経て1836年に参謀本部に配属され、参謀将校としてキャリアを積んだ。1848年革命バーデン大公国での反乱の鎮圧に従軍した際、鎮圧軍総司令官の皇太弟ヴィルヘルム王子(1861年にプロイセン王に即位してヴィルヘルム1世となる)の目にとまって彼の側近となった(''→前半生'')。
ヴィルヘルム王子より軍制改革案の立案を任せられ、自由主義民主主義ナショナリズム的な要素が強いラントヴェーアを後備軍にして弱体化させつつ、正規軍の現役兵役3年制を維持し、徴兵数を増加させる内容の軍制改革案を作成した(''→軍制改革'')。
ヴィルヘルム王子が摂政となった後の1859年にに任じられる(''→陸軍大臣就任'')。軍制改革予算案を承認させるべくと折衝を図ったが、自由主義者が多数派を占める衆議院は拒否した。衆議院に対する軍事クーデタを主張するエドヴィン・フォン・マントイフェル軍事内局局長に反対し、憲法体制を破壊せずに軍制改革を断行する道を模索した(''→衆議院との折衝衆議院との関係が緊迫'')。
小ドイツ主義統一を掲げて自由主義者の懐柔を図りつつ、自由主義者の協力が得られない時には強引な憲法解釈(隙間説)で無予算統治を行う覚悟のあるオットー・フォン・ビスマルクを支持し、1862年、国王ヴィルヘルム1世に彼を宰相に任命させた。ビスマルクの無予算統治によってローンは軍制改革を断行することが可能となった(''→ビスマルクを宰相に据える'')。
1864年の対デンマーク戦ではビスマルクとともにデュッペル要塞攻撃を支持し、参謀総長モルトケと対立した。またデンマーク戦後には親墺派のマントイフェル軍事内局局長を左遷に追いやった(''→対デンマーク戦争とマントイフェルとの対立'')。1866年の普墺戦争や1870年の普仏戦争でもしばしば軍事上の問題でモルトケと対立した(''→普墺戦争と普仏戦争'')。
ドイツ帝国樹立後の1873年に一時的にビスマルクからプロイセン宰相職を譲られたが(ドイツ帝国宰相職は引き続きビスマルクが在職)、鉄道協会設立の経費をめぐる疑惑の追及を受けて失脚し、すべての役職を辞して引退することとなった(''→プロイセン宰相'')。
ローンの軍制改革が三度のドイツ統一戦争の勝利に貢献したといえるため、ヴィルヘルム1世は「ローンが剣を研いで準備し、モルトケがこの剣を振るい、ビスマルクは外交で他国の干渉を防いでプロイセンを今日の勝利に導いた」と評した(''→ビスマルクやモルトケとの関係'')。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルブレヒト・フォン・ローン」の詳細全文を読む




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