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りんね ( リダイレクト:カール・フォン・リンネ ) : ウィキペディア日本語版
カール・フォン・リンネ

カール・フォン・リンネCarl von Linné1707年5月23日 - 1778年1月10日)は、スウェーデン博物学者生物学者、植物学者ラテン語名のカロルス・リンナエウスCarolus Linnaeus)でも知られる。「分類学の父」と称される。同名の息子と区別するために大リンネとも表記される。
== 生涯 ==
スウェーデン南部のスモーランドステンブルーフルトにニルス・インゲマション (Nils Ingemarsson) の子として生まれた。若い頃には、父親や母方の祖父と同様に聖職者となる予定であった。彼は町の内科医から教えられた植物学に興味を持ち、ルンド大学へ入り、1年後ウプサラ大学(ウップサーラ大学)へと移った。
この間に、リンネは植物の分類の基礎が花のおしべめしべにあると確信するようになり、短い論文を書いて助教授となった。
1732年に、ウプサラ(ウップサーラ)の科学アカデミーは彼の、当時は未知であったラップランド探検の為に融資をした。 この結果が1737年に''Flora Laponica''として発行された。
その後、リンネは大陸へ渡った。 オランダヤン・フレデリック・フロノヴィウスに会い、分類学における彼の研究(''Systema Naturae'')の草稿を見せた。そこでは、当時、多くの分類法に使用されていた扱いにくい記述法 、たとえば''"Physalis annua ramosissima, ramis angulosis glabris, foliis dentato-serratis"''などを、''"Physalis angulataヒロハフウリンホオズキ''"のように簡潔で、現在身近な種名に変えた。 より上位の分類群が作られ、簡単で規則的な方法で配列された。現在二名法として知られるシステムは、その200年前にボーアン兄弟により開発されたが、リンネは科学界へそれを普及させたと言われる。
リンネは個人的に常識的と感じた方法で分類群を命名した。例えば、人間は''Homo sapiens''だが、彼はまた2番目の人類、''Homo troglodytes''(現在、''Pan troglodytes''として分類されているチンパンジー)を設定した。
哺乳動物の定義の1つが子に乳を与えることから、乳腺(mammary gland)に因み哺乳類(mammalia)と名づけられた。 他の動物と哺乳動物を区別するすべての特徴から、リンネが生まれながらの母性の重要性に関する個人的な意見としてこれを選んだかもしれない。 高貴な女性でも自らの子への授乳を誇りに思うべきであると宣言して、彼は乳母の習慣へ反対運動をした。
1739年に、リンネは医師の娘、サラ・モレア(Sara Morea)と結婚した。 2年後にウプサラ大学の薬学の教授となり、すぐに植物学の教授に変わった。動物に分野を拡げて分類を研究し続けた。鉱物についても研究した。現代の視点からは、ここに鉱物が入るのは妙に感じるかもしれないが、当時の博物学では自然に存在するものを植物界動物界鉱物界の三界に分類していたので当然のことである。リンネは自然界の要素を分類する便利な方法を試みていただけであった。
1753年に『植物の種』''Species Plantarum''を出版(外部リンクを参照)。植物の学名は現在でもここが出発点とされる。
スウェーデンアドルフ・フレドリク王は1757年にリンネを貴族に叙し、枢密院叙爵を確認した後にリンネは姓のフォン・リンネを得、後にしばしばカール・リンネとサインした(出身地にちなんでカロルス・リンネウス・スモランデル (Carolus Linnaeus Smolander) とも署名している)。この姓は、彼の父がルンド大学の大学入学許可のときに牧師に相応しいラテン語の姓リンネを採用したのである。これは彼の家族が育てていたシナノキ(セイヨウボダイジュ:sv:Lindに由来するものである。また、彼の親戚は同じくシナノキのラテン名にちなむティランデル (Tiliander)、リンデリウス (Lindelius) という姓を名乗った。当時のスウェーデン人の多くは姓を持たず、父称を用いていた。リンネの祖父はインゲマル・ベングトソン(Ingemar Bengtsson 「ベングトの子」)と名乗り、同じく父はインゲマション、つまり「インゲマルの子」と名乗っていたわけである。
1778年に死去。リンネの仕事は息子のカールに引き継がれたが、カールはリンネの死からわずか5年後に急逝し、リンネの高弟であったカール・ツンベルクがその後を引き継いだ〔和田 昭允; ““ニュートンの林檎”,“メンデルの葡萄”そして“リンネの月桂樹”:物理学・遺伝学・生物分類学の邂逅”, 生物物理, Vol. 42, 140-141 (2002) .〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Carl Linnaeus 」があります。




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