翻訳と辞書
Words near each other
・ おこれ!男だ
・ おこわ
・ おこわせんべい
・ おこわ飯
・ おごせ散策きっぷ
・ おごってジャンケン隊
・ おごと温泉
・ おごと温泉駅
・ おさ
・ おさあま
おさい
・ おさいふいっぱいクイズ QQQのQ
・ おさいふケータイ
・ おさえきれない この気持ち
・ おさえきれないこの気持ち
・ おさかなはあみの中
・ おさかなはあみの中 オリジナル・サウンドトラック
・ おさかなペンギン
・ おさかな天国
・ おさかな館


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

おさい : ミニ英和和英辞書
おさい
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


おさい : ウィキペディア日本語版
おさい
おさいまたはおさいの方(おさいのかた、生没年不詳)は、室町時代後期から戦国時代にかけての女性周防戦国大名大内義隆の2番目の正室(継室)〔 福尾猛市郎 著『人物叢書‐大内義興』吉川弘文館、1989年、p.65〕。
== 生涯 ==
父は官務家の小槻伊治で、義隆の最初の正室である万里小路貞子に仕える上臈であった。しかし貞子との間に子ができない義隆にいつしか思われる身となり、天文14年(1545年)に嫡子の義尊を産んだ。ただ、義尊については「御曹子(義尊)は実子にてはをはしまさぬと申せども、証拠は更になかりけり」(『大内義隆記』)とあるように、義隆の実子かどうかを疑われていた。しかし義隆の愛情を一身に集め、義隆が貞子と離縁した後は事実上の正室となり、貞子の居住していた御殿に移り住んだ。このためおさいの権勢が大内家中で高まり、群小の家臣の多くが追従したり取り入って家政は紊乱し、後の大寧寺の変の遠因を成した〔。
天文20年(1551年)の大寧寺の変では義隆や義尊、義尊の乳母らと共に法泉寺に逃れた。しかし義隆の勧めで宮野の妙喜寺に逃れ、次いで山口の光厳寺で出家した〔。この変事で義隆と義尊、さらに父の伊治も陶晴賢に殺され、おさいは朝夕菩提の弔いに勤めたと伝わる(『大内義隆記』)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「おさい」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.