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G.H.ミード : ミニ英和和英辞書
G.H.ミード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

G.H.ミード ( リダイレクト:ジョージ・ハーバート・ミード ) : ウィキペディア日本語版
ジョージ・ハーバート・ミード[ちょうおん]

ジョージ・ハーバート・ミード (George Herbert Mead1863年2月27日 - 1931年4月26日) は、アメリカ社会心理学者。哲学者思想史家でもある。研究業績の多くを、シカゴ大学で行い、プラグマティズムの重要な一人として知られている。ミードは、シンボリック相互作用論の父として知られている。プラグマティズムの大家、ジョン・デューイとの共同研究も知られている。
== 生涯 ==
マサチューセッツ州サウス・ハドリーで生まれる。7歳の時、牧師であった父の転任にしたがってオハイオ州オバーリンに移住。清教徒の家庭なので小説がなく、マコーリーの『英国史』、バックルの『イギリス文明史』、モトリの『オランダ共和国の興隆』などの歴史書が少年時代の主な読み物だった。1879年オバーリン大学に入学し、このころの古典教育によりギリシア・ラテンの詩と文学に親しみ、論文にも古典からの引用がよく見られる。1881年に父が亡くなったため、大学の食堂で給仕をしたりして、大学卒業まで自活する。1883年から3年ほど、ウィスコンシン・セントラル鉄道の延長工事のための測量に従事したり、家庭教師などをして過ごす。1887年に、ハーヴァード大学に編入し、主にジョサイア・ロイスウィリアム・ジェイムズの講義を聴き、哲学と心理学を専攻することにした。
1888年から1891年にかけてドイツのライプツィヒ大学ベルリン大学に遊学し、会話はうまくならなかったがドイツとフランスの新聞と社会事情をよく研究した。ベルリンで同じ下宿だった友人の姉ヘレン・キャスルと結婚し、帰国した年から夫妻でミシガン州アン・アーバーに住む。ミシガン大学に哲学・心理学の講師として迎えられ、翌年一人息子が生まれる。この大学でミードはデューイの同僚となり、1894年にデューイとともにシカゴ大学に移り、1931年秋からデューイの移ったコロンビア大学にかわる予定だったがその矢先に死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョージ・ハーバート・ミード」の詳細全文を読む




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