翻訳と辞書
Words near each other
・ 1982年アジア競技大会におけるサッカー競技
・ 1982年アジア競技大会におけるバスケットボール競技
・ 1982年アジア競技大会におけるボクシング競技
・ 1982年アメリカ合衆国週末興行収入1位の映画の一覧
・ 1982年アメリカ西グランプリ
・ 1982年アルペンスキー世界選手権
・ 1982年ウィンブルドン選手権
・ 1982年オランダグランプリ
・ 1982年カナダグランプリ
・ 1982年カナダ法
1982年サンマリノグランプリ
・ 1982年スペイン議会総選挙
・ 1982年ドイツグランプリ
・ 1982年ノルディックスキー世界選手権
・ 1982年バスケットボール世界選手権
・ 1982年バスケットボール女子アジア選手権
・ 1982年バレーボール女子世界選手権
・ 1982年バレーボール男子世界選手権
・ 1982年フランスグランプリ
・ 1982年ベルギーグランプリ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

1982年サンマリノグランプリ : ミニ英和和英辞書
1982年サンマリノグランプリ[1982ねんさんまりのぐらんぷり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)

1982年サンマリノグランプリ : ウィキペディア日本語版
1982年サンマリノグランプリ[1982ねんさんまりのぐらんぷり]

1982年サンマリノグランプリは、1982年のF1世界選手権第4戦として、1982年4月25日にイタリアのイモラ・サーキットで行われた。
== 概要 ==
第2戦ブラジルGPで優勝したネルソン・ピケブラバム)と、2位のケケ・ロズベルグウィリアムズ)のマシンに搭載された水タンク〔走行中に水を噴射してマシンの重量を減らし、レース後に水を注入して最低重量をクリアするというもの。〕に対してFISA(国際自動車スポーツ連盟)側が抗議。この時点では抗議は退けられたが〔『F1レース10年の軌跡』(グランプリ出版、1991年)p.105。〕、第3戦アメリカ西GP後に両者失格の裁定が下され、水タンクの使用も禁止された。FOCA側はこの裁定に反発、ブラバム・ウィリアムズ・ロータスマクラーレンなど10チームがサンマリノGPボイコットを決める。これに対し、マクラーレンのニキ・ラウダがレースに出走するよう各チームに働きかけたが、ボイコットの決定が翻ることはなかった〔『オートスポーツ』p.38。〕。
レースに参加したのは、FISA側のフェラーリルノーアルファロメオ3チームとトールマン、FOCA側でありながら出走したティレル(新しいスポンサーのCandyがイタリアの企業である関係上〔『オートスポーツ』p.36。〕〔『F1レース10年の軌跡』p.106。〕〔アロウズにもイタリアの企業であるラグノがスポンサーに付いていたがレースには出走していない。〕)、ATSオゼッラの7チーム・14台である。
予選はルノールネ・アルヌーがシーズン2回目のポールポジションを獲得。アラン・プロストが2位に付け、ルノーがフロントローを独占した。地元フェラーリのジル・ヴィルヌーヴディディエ・ピローニがそれぞれ3・4位と続いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1982年サンマリノグランプリ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.