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1982年のF1世界選手権 : ミニ英和和英辞書
1982年のF1世界選手権[1982ねんのえふ1せかいせんしゅけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
F : [えふ]
 ファロー四徴(症)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
世界選手権 : [せかいせんしゅけん]
 (n) world (an international) championship (title)
: [せん]
 【名詞】 1. (1) selection 2. choice 3. election 4. (2) compilation 5. editing 
選手 : [せんしゅ]
 【名詞】 1. (1) player (in game) 2. (2) team 
選手権 : [せんしゅけん]
 【名詞】 1. leading 2. top-rank 3. champion 
: [て]
 【名詞】 1. hand 
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 

1982年のF1世界選手権 : ウィキペディア日本語版
1982年のF1世界選手権[1982ねんのえふ1せかいせんしゅけん]

1982年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第33回大会である。1982年1月23日南アフリカ共和国で開幕し、9月25日アメリカで開催される最終戦まで、全15戦で争われた。
== シーズン概要 ==
チーム内の不和、不可解な裁定、大事故など騒乱が絶えないシーズンとなった。開幕戦では契約問題でドライバーが団結しストライキを決行。第2戦では優勝と2位が車輌重量違反(ブレーキ冷却水の注ぎ足し)で失格となった。これに反発したFOCA系チームの多くがサンマリノGPをボイコットした。
チャンピオン争いも稀に見る混戦となり、優勝者は11名(うち初優勝5名)、3勝以上を挙げたドライバーはいなかった。混戦の原因は有力候補の相次ぐ脱落にあった。前年王者ネルソン・ピケBMWターボの初期トラブルに悩まされ、カルロス・ロイテマンフォークランド紛争の余波で引退。開幕2連勝のアラン・プロストは9度のリタイアが災いし、地元フランスGPではルネ・アルヌーのチームオーダー無視で優勝を逃した。
好調のフェラーリ勢も、サンマリノGPのチームオーダー問題でジル・ヴィルヌーヴディディエ・ピローニが対立。続くベルギーGPでヴィルヌーヴが事故死、カナダGPではピローニに追突したオゼッラリカルド・パレッティが亡くなった。また、ドイツGPでは、この時点でポイント首位に立っていたピローニも大事故で選手生命を断たれ、ポイントは逆転され年間2位に終わる。フェラーリはコンストラクターズタイトルを獲たものの、血塗られたシーズンとなった。
タイトル争いに残ったのは、マクラーレンのベテランジョン・ワトソンと、ウィリアムズの苦労人ケケ・ロズベルグという伏兵2人だった。しかし、ワトソンは2勝ながら4連続リタイアが祟り、ピローニと同点の3位に留まる(上位入賞回数の多さでピローニが上位になる)。これに対し、ロズベルグは堅実にポイントを重ね、初優勝となるスイスGPの1勝のみでドライバーズチャンピオンとなった。
この年デビューした有力選手はテオ・ファビ。2度の王者ニキ・ラウダがマクラーレンの誘いで2シーズンぶりにカムバック。巨額の契約金が話題となりつつ、2勝を記録した。下位のコンストラクターフィッティパルディエンサインセオドールへ合流)が姿を消した。
シーズン後の12月にはロータスの総帥コーリン・チャップマンが54歳で急逝するというショッキングな出来事が起こる。さらに、FISAが翌年からのフラットボトム規定導入を発表し、グラウンド・エフェクト・カーの時代は終焉する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「1982年のF1世界選手権」の詳細全文を読む




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