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郡山義夫[こおりやま よしお] 郡山 義夫(こおりやま よしお、1894年(明治27年)6月23日〔『新編日本の歴代知事』530頁。〕 - 1987年(昭和62年)3月26日〔『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』241頁。〕)は、日本の内務・警察官僚。官選長野県知事、海軍司政長官。旧姓・山本。 ==経歴== 石川県金沢市出身〔。山本久房の二男として生まれ、郡山富次郎の養子となる〔。第一高等学校を卒業。1922年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し長野県属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』235頁。〕。 以後、長野県警部、同警視、佐賀県書記官・警察部長、鹿児島県書記官・警察部長、岡山県書記官・経済部長、福岡県経済部長、岐阜県総務部長、大阪府書記官・学務部長、内務書記官などを歴任〔。1941年6月から1943年1月まで海軍司政長官・海南島海軍特務部経済局長を務めた〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』144頁。〕。 1943年1月、長野県知事に就任し、満州開拓事業を推進した〔。1944年8月1日、知事を依願免本官となり退官した〔『官報』第5265号、昭和19年8月2日。〕。その後、大阪府食糧営団理事長に就任〔。戦後に公職追放となり〔、綜合警備保障顧問を務めた〔。
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