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藤堂高刑 : ウィキペディア日本語版
藤堂高刑[とうどう たかのり]

藤堂 高刑(とうどう たかのり、天正5年(1577年) - 慶長20年5月6日1615年6月2日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将藤堂高虎の家臣。本姓は鈴木氏で、後に藤堂姓を賜る。仮名は仁右衛門。室は織田信清の娘(藤堂高虎養女)。
== 生涯 ==
天正5年(1577年)、近江国で鈴木弥右衛門と、藤堂虎高の娘(藤堂高虎の姉)の子供として生まれた。
天正19年(1591年)に増田長盛を烏帽子親として元服した。叔父・高虎に仕え、翌20年(1592年)の朝鮮出兵で初陣を果たし、敵の船を奪い取るなどの手柄を立てる。関ヶ原の戦いでは大谷吉継の家臣・湯浅五助を討ち取った。
慶長20年(1615年)に大坂夏の陣に先鋒の一人として参加したが、5月6日、八尾・若江の戦い長宗我部盛親隊の猛攻撃を浴びて藤堂隊が壊滅状態に陥った際に、多くの将兵と共に、高刑、氏勝良勝桑名吉成ら重臣も戦死した。享年39。
墓は大阪府八尾市本町の常光寺にある。子孫は、伊勢津藩の藤堂仁右衛門家として代々城代家老(番頭)を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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