翻訳と辞書
Words near each other
・ 藤原経房
・ 藤原経清
・ 藤原経清室
・ 藤原経輔
・ 藤原経通
・ 藤原経通 (鎌倉時代)
・ 藤原経邦
・ 藤原絵理香
・ 藤原綏子
・ 藤原継彦
藤原継業
・ 藤原継縄
・ 藤原継蔭
・ 藤原綱手
・ 藤原綱継
・ 藤原緋沙子
・ 藤原総継
・ 藤原緒嗣
・ 藤原緒業
・ 藤原縄主


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

藤原継業 : ウィキペディア日本語版
藤原継業[ふじわら の つぐなり]
藤原 継業(ふじわら の つぐなり、宝亀10年(779年)〔『公卿補任』による。『続日本後紀』承和9年7月5日条の薨伝では「時年六十五」とあることから、逆算すると宝亀9年(778年)生まれとなる。〕 - 承和9年7月5日842年8月14日))は、平安時代初期の公卿。名は嗣業〔『日本後紀』大同元年4月14日条〕または緒業〔『尊卑分脈』〕とも表記する。藤原式家参議藤原百川の三男。母は伊勢大津の娘。淳和天皇の外叔父。官位従三位伊予権守
== 経歴 ==
父・百川は光仁桓武両天皇を皇嗣に擁立した功臣であったことから、兄・藤原緒嗣とともに桓武天皇に信任されて順調に昇進する。延暦19年(800年内舎人より抜擢され従五位下侍従に叙任、延暦23年(804年)には正五位上に昇叙されている。またこの間、大学頭左兵衛佐を歴任するとともに、常陸信濃介・信濃守などの地方官も兼官した。大同元年(806年)4月には兄・緒嗣とともに、桓武天皇より賜与された200戸の封戸朝廷に返上しようとしたが、この封戸は桓武天皇が特別に賞して賜与したものであるとして、皇太子・安殿親王(のち平城天皇)は返上を許可しなかった。
平城朝においては、兵部大輔左京大夫大和守を歴任し、大同3年(808年従四位下に叙せられる。嵯峨朝では大同5年(810年)従四位上に叙せられたのち、近江守・兵部大輔・神祇伯・伊予権守を歴任する。しかし、伊予権守の任を終えて帰京後は朝廷への出仕をしなかった。
弘仁14年(823年淳和天皇が即位するとその外戚として正四位下に、天長3年(826年)には従三位に昇叙され公卿に列す。その後も官職に就くことはなく、承和9年(842年)高橋里の邸宅で没した。最終官位は散位従三位。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原継業」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.