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藤原有穂[ふじわら の ありほ]
藤原 有穂(ふじわら の ありほ)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。備前守・藤原直道の長男。 == 生涯 == 清和朝では六位蔵人として天皇に近侍する一方、春宮少進として皇太子・貞明親王にも仕えた。貞観19年(877年)貞明親王の即位(陽成天皇)に伴い従五位下に叙せられる。陽成朝でも五位蔵人を務める傍らで、侍従次いで右衛門権佐を兼ね引き続き天皇の身近に仕えるものの、40歳代半ばにして依然として位階は従五位下に留まるなど、昇進ははかばかしくなかった。 しかし、元慶8年(884年)2月従兄弟にあたる光孝天皇の即位に伴い従五位上に叙せられると、同年11月には正五位上と続けて昇叙される。のち中弁に左少将と文武の要職を兼ね、仁和2年(886年)蔵人頭、翌仁和3年(887年)従四位下に叙任されるなど急速に昇進を果たした。 同年8月光孝天皇の崩御に伴い蔵人頭を辞任するが、宇多朝に入っても昇進を続け、寛平4年(892年)従四位上、翌寛平5年(893年)には参議に叙任され公卿に列した。寛平7年(895年)備前守。議政官として長く中宮大夫を兼ね治部卿・民部卿も兼帯した。醍醐朝の延喜2年(902年)従三位・中納言に至り、延喜格式の編纂にも参画している。 延喜7年(908年)12月21日死去。享年71。最終官位は中納言従三位行民部卿兼春宮大夫。
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