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花房銀子 : ウィキペディア日本語版
花房銀子[はなぶさ ぎんこ]

花房 銀子(はなぶさ ぎんこ、1915年6月29日 - 没年不詳)は、日本の女優である〔''花房銀子''、''jlogos.com'', エア、2012年12月11日閲覧。〕〔映画世界社, p.35.〕〔''花房銀子''日本映画データベース、2012年12月11日閲覧。〕〔''花房銀子''、日本映画情報システム、文化庁、2012年12月11日閲覧。〕。本名藤井 マツ子(ふじい まつこ)。
== 人物・来歴 ==
1915年大正4年)6月29日山口県に生まれる〔〔。
大阪に移り、大阪市立大阪高等女学校(現在の大阪府立大手前高等学校)に進学するも、同校を中途退学し、京都大丸の煙草売場に勤務していたところ、1932年(昭和7年)、当時、新興キネマ専務取締役の職にあった立花良介に見いだされ、同社に入社する〔〔。同年6月4日に公開された清涼卓明監督の『草笛を吹きつゝ』、同年6月30日に公開された高見貞衛監督の『大空に描く』に「花房 銀子」の名でつづけて出演し、満16歳で映画界にデビューした〔〔。当時の『日本映画俳優名鑑』の記述によれば、満19歳のころの花房は「身長五尺ニ寸、體重十二貫八百匁」とあり、これは「身長157.6センチメートル、体重48キログラム」にあたる〔。時代劇剣戟映画現代劇にと出演し、1933年(昭和8年)3月13日に公開された川手二郎監督の『時雨ひととき』、同年6月22日に公開された渡辺新太郎監督の『十二階下の少年達』等に主演した〔〔〔。
1935年(昭和10年)12月末、太秦帷子ヶ辻中開町(現在の右京区太秦堀ヶ内町)に、牧野省三の長男であるマキノ正博トーキーのための新しい撮影所を建設した新会社、マキノトーキー製作所を設立、花房は設立と同時に入社、同年に公開された根岸東一郎監督の『無鉄砲選手』等に出演した〔。1936年(昭和11年)、加賀まりこの父、加賀四郎の加賀ブラザースプロダクションが製作した鈴木傳明監督の『鋪道の囁き』に出演しているが、同作は当時は公開されず、第二次世界大戦終了直後の1946年(昭和21年)6月27日に『思い出の東京』と改題されて公開されている〔、2012年12月11日閲覧。〕。大戦中の1942年(昭和17年)に製作・公開された長尾史録監督の『大いなる行進』以降、出演記録が見当たらない〔〔。その後の消息は不明である。没年不詳

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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