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正栄院 正栄院(せいえいいん、生年不詳 - 天正20年6月18日(1592年7月26日))は、徳川家康の側室。名は牟須(むす)。父は武田家の旧臣である三井吉正。 == 生涯 == 武田家家臣である三井吉正の娘として生まれる。 天正10年(1582年)、本能寺の変の後に旧武田領は家康の支配下となり、同年に奥勤めに上がったとされる〔真野恵澂『德川家康と戦国武将の女たち』(1983年、中日新聞社、p79)〕。 天正20年(1592年)には朝鮮派兵により肥前国の名護屋城の本陣に詰めることとなった家康に供奉、同年6月18日に名護屋において出産するも難産のため母子ともに没する。戒名は正栄院殿感譽昌光大姉。墓所は佐賀県唐津市にある浄泰寺とされるが定かではない〔秋元茂陽『徳川将軍家墓碑総覧』(パレード、星雲社、2008年、p70)〕。
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