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樺山愛輔 : ウィキペディア日本語版
樺山愛輔[かばやま あいすけ]

樺山 愛輔(かばやま あいすけ、慶応元年5月10日1865年6月3日) - 昭和28年(1953年10月21日)は、日本の実業家政治家伯爵
== 生涯 ==
1865年薩摩藩士・樺山資紀の長男として鹿児島に生まれた。1878年米国に留学。アマースト大学卒業後はドイツボン大学に学ぶ。実業界に入り、函館どつく日本製鋼所十五銀行などの役員を務める。1922年、父資紀(海軍大将、伯爵)の死後、爵位を襲爵した。1925年7月に貴族院議員に選任され、1946年6月まで務めた〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』25頁。〕。1930年ロンドン海軍軍縮会議には随員として参加。太平洋戦争中は、近衛文麿原田熊雄吉田茂、盟友の松平恒雄などと連携していわゆる「ヨハンセングループ」の終戦工作に従事した。1946年枢密顧問官に就任。
20年以上の滞米経験から米国内に多くの知己を持ち、日米協会会長や国際文化振興会顧問、国際文化会館理事長、ロックフェラー財団などの国際的文化事業にも携わった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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