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東武キハ2000形気動車 : ウィキペディア日本語版
東武キハ2000形気動車[とうぶきは2000がたきどうしゃ]

東武キハ2000形気動車(とうぶキハ2000がたきどうしゃ)は、1954年(昭和29年)に登場した東武鉄道液体式気動車熊谷線の専用車で、東武鉄道が最後に導入した気動車である。
==沿革==
熊谷線は、戦時中航空機産業の中心地である太田地区と熊谷市を直結するために建設された路線であるが、1943年熊谷 - 妻沼間が開業したのみで以北の延伸はされず、閑散化した盲腸線となっていた。
1950年代初頭の時点では、新高徳 - 矢板間の矢板線とともに、非電化のため蒸気機関車牽引列車で営業している状態で、東武各線の中でも最も遅れた状態にあった。ただし、矢板線は1959年廃線まで近代化されず蒸気機関車牽引のままであった。
このような熊谷線の経営合理化のために、列車の気動車化が行われることになった。
東武鉄道は北関東各地の非電化中小私鉄を多く合併した経歴から、それらの私鉄が保有したガソリンカーを1940年代から引き継ぎ、また他社からの中古車両譲渡も受けていた。
しかし、それらのガソリンカーは1930年前後に製造された古典車ばかりで、4輪単車木造車体さえ存在する前時代的な陣容であった。しかも極めて性能が悪い上老朽化が激しく、また非電化路線についても電化が進展したことから、1950年代初頭までに廃車され、あるいは地方私鉄に売却されていた。
このため、熊谷線専用車として、当時最新式の液体式気動車が導入された。これがキハ2000形である。東急車輛製造でキハ2001 - キハ2003の3両が新製された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東武キハ2000形気動車」の詳細全文を読む



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