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杜稜 : ウィキペディア日本語版
杜稜[と りょう]
杜稜(と りょう、503年 - 572年)は、南朝梁からにかけての人物。は雄盛。本貫呉郡銭塘県
== 経歴 ==
銭塘県の豪族の家に生まれたが、若くして零落して嶺南に流浪し、梁の広州刺史蕭映に仕えた。蕭映が死去すると、陳霸先に従い、書記をつかさどった。侯景の乱が起こると、将軍となり、蔡路養・李遷仕を平定するのに功績を挙げた。豫章に進軍すると、湘東王蕭繹により仁威将軍・石州刺史に任じられ、上陌県侯に封じられた。
侯景の乱が平定され、陳霸先が朱方に駐屯すると、杜稜は監義興琅邪二郡をつとめた。555年承聖4年)、陳霸先が王僧弁を討つにあたって、杜稜は侯安都らとともに召されて協議したが、杜稜は挙兵に難色を示した。陳霸先は杜稜の口から計画が漏れることを恐れて、手巾で杜稜を縛りあげ、別室に幽閉した。陳霸先が王僧弁を襲撃すると、杜稜を同行させた。同年(紹泰元年)、陳霸先が杜龕らを討つと、杜稜は侯安都とともに建康の留守をつとめた。徐嗣徽と任約が北斉の軍を率いて長江を渡り、建康を攻撃してくると、杜稜は侯安都とともに防戦した。556年(紹泰2年)、功績により通直散騎常侍・右衛将軍・丹陽尹に任じられた。557年永定元年)、陳が建国されると、侍中・忠武将軍の位を加えられた。まもなく中領軍に転じた。
559年(永定3年)、陳霸先が死去したとき、杜稜は建康で禁兵を掌握しており、蔡景歴らと図って陳霸先の死を秘密にして、南皖にいる臨川王陳蒨を迎えた。陳蒨(文帝)が即位すると、杜稜は領軍将軍の号を受けた。560年天嘉元年)、文帝擁立の功績により、永城県侯に改封された。雲麾将軍・晋陵郡太守として出向した。561年(天嘉2年)1月、召還されて侍中・領軍将軍の位を受けた。565年(天嘉6年)1月、翊左将軍・丹陽尹に転じた。
566年天康元年)、廃帝が即位すると、杜稜は鎮右将軍・特進の位を加えられた。567年光大元年)5月、再び領軍将軍の号を受けた。
569年太建元年)、宣帝が即位すると、散騎常侍・鎮東将軍・呉興郡太守として出向した。570年(太建2年)、召還されて侍中・鎮右将軍の位を受けた。9月、特進・護軍将軍の位を加えられた。571年(太建3年)、公務の失敗のため侍中と護軍将軍の位を剥奪された。572年(太建4年)、侍中・右光禄大夫の位を受けた。6月、在官のまま死去した。享年は70。開府儀同三司の位を追贈された。は成といった。
子の杜安世が後を嗣いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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