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川上久利 : ウィキペディア日本語版
川上久利[かわかみ ひさとし]
川上 久利(かわかみ ひさとし、永禄元年(1558年) - 寛永17年(1640年))は、安土桃山時代から江戸時代にかけての薩摩国島津氏の武将。父は島津氏庶流の川上氏11代当主・川上久隅、母は本田薫親の娘。幼名は犬満丸、通称は彦三郎、左衛門尉。
天正2年(1574年)、島津義久に拝謁してより島津氏の武将として働いた。しかし、文禄の役の際、島津義弘に従軍して朝鮮に渡るも勝手に帰国するという事態を惹き起こす。本来、父の後を継いで川上氏宗家の家督を継ぐ立場であったが、この所業に立腹した父の久隅により、久利の弟である川上久通が家督代とされた。
その久通は慶長3年(1598年)に朝鮮にて病死するのであるが、それでもなお久利の行状は改まらず、慶長4年(1599年)の庄内の乱のときも臣下が諌めても主君からの出兵命令に応じないという有り様であった。このため久隅は久利を庶流とし、川上氏宗家の家督は久通の子の久貞に継がせた。
寛永17年(1640年)に死去した。享年83。

== 参考文献 ==

* 『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13) (鹿児島県史料刊行委員会)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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