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岡山口の戦い : ウィキペディア日本語版
天王寺・岡山の戦い[てんのうじ おかやまのたたかい]

天王寺・岡山の戦い(てんのうじ・おかやまのたたかい)は、豊臣家江戸幕府に対する最後の抵抗を鎮圧するために行われた大坂の陣のうち、慶長20年(1615年)に発生した大坂夏の陣における最後の戦い。
== 両軍の布陣 ==
5月7日6月3日)未明、最後の決戦のため豊臣方は大坂城を出発し、現在の大阪市阿倍野区から平野区にかけて迎撃体制を布いた。幕府方の軍勢は、夜明け頃天王寺口と岡山口から大坂城へ向け進軍を開始した。

=== 豊臣方 ===
天王寺口は茶臼山真田信繁、子の真田幸昌、一族の真田信倍ら兵3,500、茶臼山前方に信繁寄騎渡辺糺大谷吉治伊木遠雄ら兵2,000、茶臼山西に福島正守福島正鎮石川康勝篠原忠照浅井長房ら兵2,500、茶臼山東に江原高次槇島重利細川興秋(兵数不明)、四天王寺南門前には毛利勝永勢と、木村重成勢や後藤基次勢の残兵など6,500が布陣した。
岡山口は大野治房を主将に新宮行朝岡部則綱らが、後詰に御宿政友山川賢信北川宣勝ら計4,600が布陣した。
茶臼山北西の木津川堤防沿いに別働隊明石全登勢300、全軍の後詰として四天王寺北東の後方に大野治長七手組の部隊(計15,000?)が布陣した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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