翻訳と辞書
Words near each other
・ 四脚歩行
・ 四脚門
・ 四脚類
・ 四腔断面
・ 四腕奇形児
・ 四腳亭駅
・ 四臭化炭素
・ 四至
・ 四至本侑城
・ 四至本八郎
四至本愛子
・ 四至牓示
・ 四至神
・ 四色の花火
・ 四色問題
・ 四色型色覚
・ 四色定理
・ 四色牌
・ 四芸祭
・ 四苓湯


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

四至本愛子 : ウィキペディア日本語版
四至本愛子[ししもと あいこ]
四至本 愛子(ししもと あいこ、1910年12月11日文化ジャーナル9月号 北島町立図書館〕 - 2013年1月25日)は日本のジャーナリスト。四至本八郎の妻。大伴昌司の母。本名、四至本アイ。
福島県東白川生まれ。宇都宮女学校(現在の栃木県立宇都宮女子高等学校)を卒業し、進学のため上京。その後、幼時から関心のあった社会運動に参加するようになり、婦女通信社に記者として勤務するかたわら、社会民衆党の本部に出入りするようになる。1931年には、吉野作造の長女の赤松明子に提唱された社会民衆党の婦人同盟の結成に参加し、広報担当者として機関紙を受け持つ。また、鐘紡本社に鐘紡女工学校を作り、女工たちに社会運動への自覚を促す講義をおこなった。
当時、作家の山田順子柳原白蓮たちと交流。また、日本大学芸術学部に通い、横光利一浅原鏡村久野豊彦といった文士の講義を受ける。同門の吉行エイスケとともに、土手三番町(現在の東京都千代田区)の吉行宅で横光たち講師と文学談義を交わすこともあった。
戦後は、1948年ごろから『日米時事』でコラムを40年にわたって連載し、日本の事情を米国に伝え続けた。
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「四至本愛子」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.