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ワケ : ウィキペディア日本語版
ワケ
ワケ(別、和気、和希、和介、委居、獲居)は、ヤマト王権における称号およびカバネの一つ。4世紀前後にヤマト皇族から分かれ、地方に領地を得た者のおよびその一族にワケが使われた〔 溝口睦子「日本古代氏族系譜の成立」学習院学術研究書、19年 364-384ページ。佐伯有清「日本古代の政治と社会」、吉川弘文館、1970年、1-68ページ。太田亮『日本上代における社会組織の研究』518-531ページ、1921年〕。しかし5世紀前半允恭天皇氏姓制度改革により臣連制が作り出されると、ワケはキミオミのカバネに変更され、それ以来は使われなくなった。
== 4世紀皇族の地方領主的称号 ==
ワケは初め皇族の子孫、とりわけ軍事的指導者(王族将軍)で〔 伊豆公夫『日本古代史』125ページ〕、地方に領地を得た者の称号として用いられた。その中心時代は4世紀前半の垂仁天皇から景行天皇およびヤマトタケルが日本を支配した時期である。垂仁天皇の子孫7人、景行天皇およびヤマトタケル子孫31人のワケを始祖とする氏族が存在した。景行紀に「70余子皆国郡に封ず。--77王は、 悉く国々の国造、また和気及び稲置、県主に別け賜ひき」とあり、皇子の中には国造県主と並んで地方領主となりワケのカバネを称した者もあるが、ほかの多くの皇子は国造などから領地の一部を得ただけで、その後家系が途絶えたてものと考えられる。4世紀後半の成務天皇および仲哀天皇期にはワケの称号をつけられた皇子はほとんど見られなくなる。これは皇子に分け与える領地がなくなったためとも考えられる。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ワケ」の詳細全文を読む



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