翻訳と辞書
Words near each other
・ フリックリー・アスレティックFC
・ フリック・コレクション
・ フリック・シャグウェル
・ フリック入力
・ フリッグ
・ フリッケンハウゼン・アム・マイン
・ フリッシュ
・ フリッジデール
・ フリッター
・ フリッタータ
フリッチェ
・ フリッチャイ
・ フリッチャイ・フェレンツ
・ フリッチョフ・カプラ
・ フリッツ
・ フリッツ (チェス)
・ フリッツX
・ フリッツィ・ブルガー
・ フリッツィー・ブルネット
・ フリッツヘルメット


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

フリッチェ : ウィキペディア日本語版
ハンス・フリッチェ

ハンス・ゲオルク・フリッチェHans George Fritzsche1900年4月21日 - 1953年9月27日)は、ドイツジャーナリスト、ドイツ政府の国民啓蒙・宣伝省の幹部。
ナチ党政権下ゲッベルス率いる国民啓蒙・宣伝省の新聞局長、ラジオ放送局長を務めた。戦後、ニュルンベルク裁判の被告人の一人となったが、無罪判決を受ける。
== 略歴 ==

=== ラジオ・ジャーナリスト ===
ルール地方ボーフム出身。第一次世界大戦に従軍後、保守派の政治家メディアの支配者だったアルフレート・フーゲンベルクの下でジャーナリストとして働く。当時新たなメディアとして勃興しつつあったラジオの普及に関わり、1932年9月にドイツ無線ニュースサービスの責任者に就任。翌年5月1日ナチスへ入党した。
ヒトラー政権成立後にはヨーゼフ・ゲッベルス率いる宣伝省の新聞局長となるとともにラジオ番組でも活躍し、ナチス政権下で言論統制報道管制の指揮を取り続けた。一時、ゲッベルスと意見の相違をきたして宣伝省から離れ、志願兵として東部戦線に出征したが、ゲッベルスに呼び戻され宣伝省・ラジオ放送局長に就任する。ゲッベルスはフリッチェを信頼するとともにその手腕を高く評価しており、フリッチェが述べる耳の痛い直言にも真摯に耳を傾けていたと言う。
1945年、戦場となったベルリンに留まり、ほぼ廃墟と化した宣伝省において最後まで職務を遂行し続けた。5月2日、ヒトラーとゲッベルスの自殺を受け、ベルリンに侵攻したソ連軍に「降伏交渉を行なう」との名目で単身投降、捕虜となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハンス・フリッチェ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hans Fritzsche 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.