翻訳と辞書
Words near each other
・ テオドジオ・デ・ブラガンサ
・ テオドラ
・ テオドラ (ユスティニアヌスの皇后)
・ テオドラ (東ローマ女帝)
・ テオドラ (歌手)
・ テオドラキス
・ テオドラコプロス
・ テオドラス・カリヨタイティス
・ テオドラス・キイェヴィシュキス
・ テオドランド・ド・ボアルネ
テオドラ・アンゲリナ
・ テオドラ・キンブル
・ テオドラ・コムネナ
・ テオドラ・コムネナ (オーストリア公妃)
・ テオドラ・ドゥーカイナ・コムネナ
・ テオドラ・ポシュティッチ
・ テオドラ・ポスチス
・ テオドラ・ヴィグ
・ テオドリク
・ テオドリクス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

テオドラ・アンゲリナ : ウィキペディア日本語版
テオドラ・アンゲリナ

テオドラ・アンゲリナ(Theodora Angelina, 生没年不詳)は、バーベンベルク家オーストリア公レオポルト6世の妻。イサキオス・コムネノス(東ローマ帝国マヌエル1世コムネノスの甥の子)と皇女アンナ・アンゲリナ(皇帝アレクシオス3世アンゲロスの子)の唯一の子。
1197年ワラキア=ブルガリア帝国第2代皇帝イヴァンコ(イヴァン・アセン1世を殺して即位)と結婚。東ローマ帝国に恭順の意を表明し、アレクシオスの名まで賜っていたイヴァンコは1198年にすぐさま反旗を翻し、父イサキオスは、夫の属するワラキア=ブルガリアの捕虜となって死んだ。将軍マヌエル・ヴァタツェスは彼を捕らえ、テオドラは夫と離婚した。
1200年頃、彼女はワラキア=ブルガリアの指導者であるドブロミル(将軍マヌエルの義理の息子)の3人目の妻となっていた。
後に第4回十字軍のもたらした東ローマ帝国の崩壊のさなか、テオドラはレオポルト6世と結婚した。2人には7子が生まれた。
*マルガレーテ(1204年 - 1266年) - ドイツ王ハインリヒ7世(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の長男)と結婚、死後にボヘミアオタカル2世と再婚。
*アグネス(1205年 - 1226年) - ザクセン公アルブレヒト1世
*レオポルト(1207年 - 1216年)
*ハインリヒ(1208年 - 1228年) - テューリンゲン方伯ヘルマン1世の娘アグネスと結婚し、1女ゲルトルートをもうける。ゲルトルートはバーデン辺境伯ヘルマン6世と結婚、死別後にキエフ大公ダヌィーロの息子ロマンと再婚、フリードリヒ2世の死後、バーベンベルク家の女子相続人となる。
*ゲルトルート(1210年 - 1241年) - テューリンゲン方伯ハインリヒ・ラスペ
*フリードリヒ2世(1211年 - 1246年) - オーストリア公
*コンスタンツェ(1212年 - 1243年) - マイセン辺境伯ハインリヒ3世
category:オーストリアの后妃


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「テオドラ・アンゲリナ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.