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のらぼう菜 : ウィキペディア日本語版
のらぼう菜[のらぼうな]
のらぼう菜(のらぼうな)は、東京都西多摩地方(あきる野市青梅市等)及び埼玉県飯能市付近で多く栽培されるアブラナ科アブラナ属野菜である〔のらぼう菜の栽培分布範囲は、神奈川県川崎市多摩区地区から埼玉県比企郡ときがわ町大野地区付近までとされる。〕〔『江戸東京野菜 図鑑篇』、96-97頁。〕〔成瀬・堀、107頁。〕〔お野菜Who's Who/のらぼう 野口種苗研究所ウェブサイト、2013年10月12日閲覧。〕。江戸時代初期には、すでに各地で栽培されていたと伝えられる〔『江戸・東京ゆかりの野菜と花』、113-114頁。〕〔『都道府県別地方野菜大全』、86-87頁。〕。耐寒性に優れ、天明の大飢饉(1782年 - 1788年)及び天保の大飢饉(1833年 - 1839年)の際に人々を飢餓から救ったという記録が残る〔〔〔。かき菜などの「なばな」と同系統だが、在来種のアブラナ(和種なばな)ではなくセイヨウアブラナ(洋種なばな)に属している〔〔〔『江戸・東京農業名所めぐり』、160-161頁。〕。
== 歴史 ==
のらぼう菜がいつ頃から栽培され始めたのか、その来歴は不明とされる〔〔。のらぼう菜の原種は、闍婆(じゃば、現在のジャワ島)を経由してオランダの交易船が持ち込んだセイヨウアブラナ(洋種なばな)の1種「闍婆菜」(じゃばな)という品種という説がある〔〔 JECC NEWS、2013年10月11日閲覧。〕。この闍婆菜は各地で栽培が広まり、江戸時代初期にはすでに西多摩地方でも栽培されていた〔〔〔〔。
のらぼう菜を含むなばな類は、油を採る目的の他に食用として葉や蕾が用いられ、栽培地の気候や風土によってさまざまな特質が見られるようになった〔〔。西多摩地方ではこの食用なばなを「のらぼう」または「のらぼう菜」と呼んでいた〔。「のらぼう」には「野良坊」という漢字表記がしばしば見られるが、この名で呼ばれるようになった経緯は定かではない〔〔。
のらぼう菜は耐寒性に優れている上、花茎を折ってもまた次の脇芽を何度も出す旺盛な生命力を持った品種である〔〔〔岩崎・関戸、8頁。〕。江戸時代後期の1767年(明和4年)9月、関東郡代伊奈忠宥が地元の名主小中野四郎右衛門と網代五兵衛に命じて、のらぼう菜の種子を江戸近郊の12の村々に配布した記録が残る〔野良坊菜之碑には、12の村々のうち引田、横沢、高尾、留原、小和田、五日市、深沢、養沢、檜原の名が記されている。〕〔〔〔。のらぼう菜の普及によって天明の大飢饉(1782年 - 1788年)及び天保の大飢饉(1833年 - 1839年)の際、人々を飢餓から救ったと伝わる〔〔〔。あきる野市の子生神社(こやすじんじゃ)には、この事績を記念して「野良坊菜之碑」が1977年(昭和52年)に建立されている〔〔〔〔21.子生神社 あきる野市ホームページ、2013年10月11日閲覧。〕。
のらぼう菜は収穫後はしおれやすいため長距離輸送や大量出荷向きではなく、生産地付近でのみ消費される地方野菜として受け継がれてきた〔〔〔よみがえれ!江戸東京・伝統野菜 第21回 のらぼう菜 大竹道茂の江戸東京野菜通信、都政新聞株式会社ウェブサイト、2013年10月11日閲覧。〕。近年は苦みやくせのないのらぼう菜の味わいが再度注目されるようになって、産地のあきる野市では東京都農業試験場・西多摩農業改良普及センター・JAあきがわが協力して、品種改良を進めている〔〔のらぼう菜 故郷に残したい食材 社団法人 農山漁村文化協会ウェブサイト、2013年10月12日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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