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1956年のF1世界選手権 : ウィキペディア日本語版 | 1956年のF1世界選手権[1956ねんのえふ1せかいせんしゅけん]
1956年のF1世界選手権は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第7回大会である〔FIA Yearbook, 1974, page 119〕。1月22日のアルゼンチンで開幕し、9月2日のイタリアにおける最終戦まで全8戦で争われた。ファン・マヌエル・ファンジオが3連覇、自身4度目のタイトルを獲得した。 ==シーズン概要== メルセデス・ベンツが撤退し、ファンジオはタイトルと共にフェラーリに移籍した。フェラーリはランチア・D50を入手し、ファンジオ、エウジェニオ・カステロッティ、ルイジ・ムッソ、ピーター・コリンズのラインナップで強力なチームを作り上げた。開幕戦でファンジオは自身の車が故障した後、ムッソの車を借りてこのレースに勝利した。コリンズと、ファンジオのメルセデス時代のチームメイトでありマセラティをドライブするスターリング・モスが、ファンジオのタイトル防衛に立ちはだかり、それぞれ2勝を挙げた。シーズン序盤、イギリスのコンノート、ヴァンウォール、BRMもそのポテンシャルを示した。 最終戦、ファンジオはコリンズと、マセラティを駆るジャン・ベーラに対して8ポイントの差を付けてリードしていた。コリンズ及びベーラがファステストラップで優勝しない限り、ファンジオのタイトルは確実なものとなっていた。ファンジオとベーラがリタイアし、ムッソは自分の車をファンジオに貸し与えることを望まなかったため、コリンズにとってタイトル獲得のチャンスが与えられた。しかしながらコリンズは、ファンジオに自らの車を貸し与え、最終戦を2位、シーズンランキング3位で終えた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1956年のF1世界選手権」の詳細全文を読む
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